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9月7日
今日は台風通過の日となってしまったが、念願かなって万博以来のフレンドシップを結んでいるマレーシアに、常滑市長の石橋さんそして常滑商工会議所の伊原会頭、杉江副会頭をはじめとする会議所の皆さんと共に友好訪問することとなった。もともと5月の連休の後半に私自身がマレーシアのペナン島に行ったのがきっかけで、帰国した後常滑市の関係者に今年が建国50周年であり、日本との国交も50周年となる本年こそ、市長団長で行くべきではと手紙を書いた所、市長自ら行こうとおっしゃていただいて、本当に行く事になったのが今回の訪問となった。その時出した私の原点No.4にも書いたのだが、@ロイヤルセラゴーン(ピューターの会社)とINAXの土・どろんこ館の産業観光施設交流をする為にも一度訪問してみてはどうだろうかとういう事と、Cの50周年記念の訪問国と常滑市から出すという、@番とC番に考えたことは、これで実行できることとなった。@については在マレーシア日本大使館がロイヤルセランゴールビジターセンターを訪問し、ここのゼネラルマネージャーのチェン・ティン・ユー氏との意見交換をすることとなった。INAXの土・どろんこ館との「産業観光施設交流」は何かできないだろうかと思っている。たとえば、両館のホームページにまずお互いを紹介し合うというのはいかがだろうか。更には、そこのミュージアムショップについてインターネット上ではお互いの商品が買える様にしてあげる。更に次回はロイヤルセランゴールの方にはINAXの土・どろんこ館に来ていただくなど、少しずつできることはあるだろうと私は思っている。そしてCは、まさにこれが50周年記念の記念訪問である。常滑市もまた地域外交に一歩踏み出したことになる。実は、有志によって元々マレーシアとの市民交流は10年間あまり続いているとの事だ。小学校の生徒さん同士の交流を支えてきた九角の伊藤さんも今回は一緒だ。その他、今井大使への表敬訪問、あるいはマレーシア国の観光副大臣とのミーティング、また前駐日大使への表敬など、友好の礎となる活動と建国50周年の式典にも出席を予定している。今年8月23・24日の両日、我国に安倍首相も記念訪問をした。多くの日本企業が出ているこの国に再び今度は常滑市長さん一団と訪問ができて本当に幸いである。一つだけ残念なのは、今回はオランウータンに関することができなっかたことだ。しかし、また来ることでオランウータンの保護と常滑の子供達の交流を考えることとしよう。
さあ、それでは出発だ〜!!朝一番、常滑の中部国際空港から出発する部隊の丸角の伊藤さんとも話した。石橋さんも「現地にて」と言葉をかわした。この訪問団は市長、市議会議長そして商工会議所の会頭、副会頭ならびに本当に大切な皆さんと一緒に行く。クアラルンプールの国際空港から市内中央駅に行く列車の改札口で落ち合う事を確認して、「現地にて」という言葉で電話を切った。ほどなく沢田県議からも電話をもらった。目下、石橋市長後の市長選挙が11月11日告示で行われる予定の中で、市長候補を捜す為に必死になっている。もちろん、沢田先生本人もその候補の内の一人でははあるし、本人も多くの人がその期待を持って見ていることも認識されている。昨夜その事も含めて日高先生とも電話で話をした。日高先生も本当に心配して下さっている。ありがたいことだと思う。
日高先生は「全ては沢田先生の指示にしたがってゆきなさい」と言われた。私ももとからそのつもりだ。沢田先生が私の次の選挙の事で心配して心配して悩んで下さっていることが、私自身いやと言うほど理解できるだけに、今日から一緒になる常滑市の重大幹部の方とも「とにかく沢田先生の考えを大切にして下さい」と申しますよと言っておいた。3日間一緒になるのだからなんらかの話があるだろうが、私はとにかく発展する常滑市作りの為に私が何を成し得るのか、これが一番大切な事だと認識して会話をしたいと思っている。沢田先生の思いを本当に大切にしたいと思っている。
ところで、私自身のマレーシアという国との思いや関係は、まずは「ルックイースト」という言葉で有名になった、マハティール首相との縁だ。多くの人がびっくりする様な話かもしれないが、日本経済新聞社がここ毎年10年以上開催している「アジアの未来」という会議が5月の終わりにある。アジア各国の国家元首が来てそれぞれスピーチをし、アセアン諸国、アジアの統合に向けた未来を見つめてゆくすばらしい会議だ。私はちなみにこの会議に第一回から出席している。その昔スタートの時、かつての東海銀行がスポンサー企業のひとつであったことにも起因しているが、私はこの会議にだけは是非出席をし、各国の指導者の話を聞く機会が欲しいと父に願った所、出席する機会を作ってくれた。最初の頃は、ここに来るゲストスピーカー(各国の指導者)と昼食時の会場やコーヒーブレイクの時の会場も会場参加者と同じ場所であったことから、気軽に話す機会があったのだった。そこで、一言二言(今では何を話したのか忘れたけれども)マハティール氏とも会話をしたことを覚えている。しかも私の亡くなった父もマハティール氏とは親交があった。当時父が亡くなって「偲ぶ会」が開かれた時、父とマハティール氏の2人が写っている写真がパネルで会場に飾られていた。父がマハティール氏と当時どんな会話をしたのかは今となっては知るよしもないが、親子で別々にお会いさせていただいた大切な方という事だけは間違いない。そのマハティール氏が取り組んだ電子政府計画サイバージャヤ、プトラジャヤにはまだ足を踏み入れていないが、今回土日なので官庁街は休日だが車で帰国の途中で(飛行場までの間など)少し立ち寄ってゆこうと思っている。もう一つは通貨の問題だと思う。アジア通貨危機がおこった時、ジョージ・ソロスに対し、怒りをあらわにしたのがマハティール氏だった。これは亡くなった宮沢元首相が在任当時アジア通貨基金創設を考えたが、米国側の圧力で当時は頓挫した計画が今日になってアセアン全体の経済圏の中でアジア各国の力が更に強まった今日、ようやく日の目を見ようとしているのである。政治は時代の少し先を行くものである。今ようやくそんな時代が来たのだと思う。今年の「アジアの未来」では、二階先生が経済産業大臣当時お話をされた「東アジア経済圏」構想の話をされた。アセアン+3+3、16カ国で地域経済圏をつくってゆくことを提案されたものだ。ヨーロッパではEUが出来上がって1つの経済圏として今機能し、そこに住んでいる人たちの生活を平和で豊かなものにしている様に、このアジア太平洋地域にもゆるやかな経済ルールの統合をし、更に域内の全ての交流を活発にしてゆく事を目指しているのである。こうした未来を考えた時、日本国の1つの最小(自治体という)単位の住民の皆さんにまたアジアと結びついてゆく機会とその大切さを感じてもらう事は大切な事ではないだろうか。ちなみに、マレーシアと切っても切れない国家であるシンガポールとのフレンドシップの相手は美浜町である。私が帰国したら、9月12日にはシンガポールの公使美浜町長、外務省と私自身で食事をして、町長としては斉藤さんから山下さんに交代したが引き続きシンガポールとの交流を通じ、国際交流の大切さを町民の皆さんに根づかせていきたいと考えていることの確認をすることとなっている。この事を町長さんと確認するにあたっては、来年町長さん自身が美浜町の子供達と一緒にシンガポールを訪問するべく考えていることもうかがい、私は大変感動した。ちなみに、常滑市とマレーシアの小学校の子供達の交流もすでに10年余り続いていることを、この際報告しておきたい。これらの民間交流の努力は、必ず将来に果実ををもたらすものと確信している。今日はこれからクアラルンプールに着いたらまず、エアポートと市の中心の中央駅をなんと常滑空港と名古屋駅を結ぶ時間と同じ28分で結んでいる高速鉄道に乗って、全員で市内から大使公邸に行くこととなっている。駐マレーシア大使の今井さんは、私と会った2日後には離任され、新しい大使と交代される。おそらく私と常滑市の皆さんが最後のゲストとなるだろう。ちなみに、今度赴任されてくる新しい大使は、私が旧知の前カタール大使の堀江さんだ。縁は本当に異なものである。少々びっくりした。またここでも堀江さんには御世話になることになる。そしてこの夕食が終わったら今日はゲンティンハイランドホテルに宿泊する。なんでこんなホテルにと聞いたら、常滑市の皆さんがたっての希望ですとの事。よくよく聞いてみたらカジノがあるのだと言う。常滑市は愛知県下の中では一番早くから(私が県議の時から)とにかくカジノと言ってきた。今では私自身もカジノ振興議連の事務局次長として、帰国後の12月にメリルリンチ(米国の金融機関)の主催によるカジノについての講演会で講師も務めなければならないほどにカジノについて今関わっている課題でもある。ちなみにマレーシアは王国であり、各州にロイヤルファミリーも住んでいる。マレーシアは各州ごとにこれらハイクラスファミリーのビジネスとしてカジノがあるらしい。まだ今クアラルンプールに向かう機中でこれを書いているので、どんなホテルか解らないが、このゲンティングループはちなみにシンガポールで解禁されたカジノについて、最初に大きなカジノを建てる権利を取得したグループである。南西アジアのエリアでは私も初めて行くカジノなので楽しみだ。ところで9月12日、国会では首相の所信表明演説に対する代表質問の日、終了後のカジノに関することで私は講演することになっている。まずもって参院選後とその前とでは、大きくこのカジノ解禁に向けた日本の状況が変化したことを申し上げなければならない。今や小沢民主党は、何をしても衆議院の解散に持ち込みたい一心での国会運営となった上、こうした法案(カジノ解禁に向けた)を通すことはすなわち2院で与党が違う以上は、事実上無理な状況となったという事である。とにかく全ての課題で対決する。共調することは1つも無い。まして民主としてみれば、公明の関心を得る為にすでに日本国中にあるスロットマシーンの台数は全世界にあるスロットマシーンに台数に匹敵するのに、更にその上こうした「賭け事」の場をつくる事が家庭や子供にどれほどの悪影響を与えるのかという指摘もしてくるに違いないし、(当時観光立国推進基本法を成立させるにあたって随分話をさせていただいた民主党関係者の中からもれ聞こえてくるのは党内では、この際与党との共調する話題は進めない、協力しない、ただひたすら対立する路線にのみ力を入れてゆく。したがって党内でこうした与野党合意が前提となる様な話題は話しづらいという状況だ。休暇のあり方やその価値観でも相当の幅が民主党の内部にはある様でもあり、今の情勢はここ1年間は動く事ができない課題になりつつあると見るべきかと思っている。ただし、つい最近二階先生から「例えばカジノなんか今みたいな時になにも解らずやった方が良い」とも言われた。久しぶりにゲンティンに泊まった話もしつつ、民主党の人達とも話しをしてみるべきかとも思っている。メルリンチ日本証券での講演会で、カジノ解禁を今すぐにでもと期待しているとすれば、この会場に民主党を代表してこの課題への意見表明をしてくれる講師が居なければ、なかなか難しい状況となっているという事を知ってほしいのである。一方でもう1つ大切な事は、今パチンコスロットマシーンなどの出玉率を国家公安委員会で決めている。これが非常に厳しいルールになっている。それが理由でとは解らないが、全国のパチンコ屋のホールが今次々に閉店している。かなりの数があるのだからそうなるのも当然だという声もあるが、こうした厳格はルール作りは今後のカジノ解禁に向けてどうなってゆくのか、誰がハンドリングしてゆくのか、これも大事なポイントの1つだろう。今回の訪問ではマレーシアの観光副大臣ともお会いをすることとなっている。来年には我国も行政組織の中に観光庁をつくる方向で政府部内の調整が進んでいることを話しながら、両国のますますの観光交流が進む様に、是非マレーシアの方々の日本訪問の促進もお願いをしてこようと思っている。むろん産業観光施設の交流などもしながらすすめてほしい事を申し上げたい。そろそろあと2時間の所まで来た。ちょっと遅れて空港に到着。シンガポールからの常滑市組もほぼ同時に到着。この空港は面積では成田の10倍。設計は空港と市内の中央駅を両方とも黒川紀章氏。しかもODAを使っているという事もあって、日本語の表示もあるとの事。前回の訪問の時の驚きが少し失せてしまった。クアラルンプール市内の交通渋滞にはまって、大使公邸まで時間がかかった。多分8時30分頃に着くのかな〜。ところで、マレーシアは14の州でできていて、8人のスルタン(王様)が居る。中央駅で列車の展示がしてあった。70kmで28分と中部は35kmで28分なのでこのマレーシアの方が早いスピードの様だ。さて、とにかく一路大使公邸へ。この国の人口の60%がマレー系、30%は中国系、残る10%は混血なのだそうだ。今井大使の最後のパーティー(大使公邸での)が我々との会合だとの事。今井大使とお会いできた。少々遅くなったが8時30分から11時15分まで約2時間半くらいかけてゆっくりと夕食をいただいた。ちなみに今井さんの大使館の料理人はSONY(ソニー)の盛田会長が病気になられた後も面倒をみた料理人との事で大変おいしい日本食をいただいた。沖縄担当大使となって現地にいかれる時はこの料理人も連れてゆくとの事だった。
この約2時間の間、マレーシアとシンガポールの事から世界中の話題を話し合った。民主主義と議会のあり方、テロ特の話まで、広範囲の話となった。最後に、沖縄・大阪に続いて日本の産業の中心でもある愛知担当大使を設置してほしいという話と、将来是非常滑市民の善意の基金でサバ州のオランウータンの保護に役立ててもらう様にしたいと申し上げておいた。常滑市の皆さんにも初めて伝えたので、少しずつ理解を深めていただければと思った。ところで、今井さんからは少なくともマレーシアの人が日本へ行くとき、ホスピタリティーとして役に立つ地域の1つになっていただければと言われたので、「喜んで役に立ちますよ」と伝えておいた。さて、それではカジノホテルへ出発。おっとその前に、日曜日の時間のある時に、私は日本人墓地に出向くこととした。この国に長崎県から移り住んだ森家という家族の娘3人の内の1人が、明日訪問するロイヤルセランゴールピューターのオーナーの奥様で、この家族が戦争以前から日本人墓地を守ってきたとの事。ちなみに、現首相のアブドラ首相の最初の奥様もこの森家の方だとの事。このマレーシアではやはり日本軍(戦争当時の)は評判が悪い。しかし、マレー人は中国共産党も好きではないので、中国系が日本軍の悪を言う時はマレー人が中国系の共産主義を批判するので、結果的に批判がおこりにくいとの事。さて、ようやく真夜中12時少々過ぎにゲンティンハイランドホテルに着いた。もともと蒸し暑い国だったマレーシアで、高原地帯の別荘地北開発したのは旧宗主国のイギリスだった。そこでこのカジノホテルエリアも開業されたらしいが、今このホテルは華人のホテルとなっている。マレーシアは60%のマレー人で人口の上では華人は少ないが、お金持ちはやはり華人なのだ。これがマレー人と華人の溝となっている。午前1時にロビーに集まってカジノに行った。私は少々負けて早々退散。明日もいろいろあるので、ではおやすみなさい。ところで最後にマカオの昔をマレーシアのカジノでは感じた。モスリムの世界の人は賭け事はやらない。宗教上の理由からだ。それ故、ほとんどの客は華人だった。本当に一昔前のマカオのリスボアホテルの様なものだった。しかし、このホテルグループがシンガポールに大きく進出するとの事だ。明日も早い。今午前3時!!
9月8日
朝6時30分モーニングコール。昨日と言うか本日があまりに遅すぎたことが悔やまれる。他のメンバーはどうなっているのだろうか?市長さんと片岡議長(市議会)はさっさと寝た。商工会議所の4人はみんなカジノを見に行った。午前7時頃朝食をとりにレストランへ行ってみると全員そろっている。中には勝った人もいるとの事。すごい人がいたもんだ。窓から見ると一面雲海の中。ここは昨夜の真夜中着だったのでよく解らなかったが、今、全体を見回してみるとさしずめ熱海の温泉街(一昔前の。ここは温泉は出ないが)の様だった。さぁ、これからロイヤルセランゴールピューターの方と会う。出発!!車で1時間程でロイヤルセランゴールピューター社へ。入口におなじみのマグカップ。「錫」でできているマグカップはつめたく冷やしたビールをより一層うまく飲める。つい最近もキリンビールのギブアウェイのギフトで2万5000個のビールのマグカップの受注をしたとか。今回我々を迎えてくれたのは、創業家のオーナーの娘さんとその息子さんだ。2人ともこの会社の大切なポジションについている。ちなみに錫は当時危険物だったので、多くの中国人が連れてこられてこのインゴットを取る仕事をさせられていた。もちろんこのロイヤルセランゴールピューターも中国系の華人企業である。マレーシアの国内にあってこれほどに成功している企業も少なくない。今では東京の有楽町にも出店を持つ。早々中を案内していただいた。創業者から数えて4代目の若い経営者とそのお母さんに見せていただいたのは、まさに体験型産業観光工場見学と直売場だった。特にまず創業者が作ったポットを拝見した。すばらしい形だ。今は少し形が変化して商品として出している。そしてこの錫をリサイクルしている事だとか、あるいはその技術がいかに高度なものなのか、訪問者自らが同じ作業をさせてもらってなかなか同じ様な事ができない事を知らされる。自らの体験も入れてすばらしい体験ゾーンだ。しかも、実際の工場内では「改善ライン」と呼ばれるラインづくりが行われているとの事。「改善」は日本語から全世界の真面目は、製造工場にとって共通言語となったのだな〜と深く感じ入った。さて、直売での買物もして彼らとの会議を持った。もともと産業観光施設同士お互いにその仕組の良い所を取り合ったらよいのではと話していた時、私はふとロイヤルセランゴールで台座を作ってその上の常滑焼のちょっとした飾りをつけて2つの地域のコラボレーションができないかということを提案した。どうやらこの4代目さんは、10月に東京に来るらしいので、是非その時は東京だけではなくて常滑市まできてほしいと申し上げた。彼も喜んで「来る」と言ってくれたので、是非この話の続きを今度は常滑市でやりたいと思っている。9時から10時30分までの時間はあっと言う間に過ぎた。この後、ただちにマンダリンホテルに戻った。ここで前駐日大使のノアー大使とどうしても石橋市長が会いたいとの事だったので、外務省にお願いをして捜してもらって会うこととなった。今、彼は基本的に公共事業(大型の政府が行う様な)に関わる仕事をされているらしい。ノアー大使は2005年の万博で深く交流した大使で、常滑市にも来たとの事。市長さんも大変喜んでくださった。その後マラ工科大学のカマルディ助教授と奥様、スタッフの人達と昼食をとった。彼らが私も全く知らなかった常滑市のライオンズクラブの人達と各小学校のPTAの幹部によって運営されてきた常滑市内児童生徒国際一交流推進協議会、通称「TSIE」を10年に渡ってお互いの学校の子供達を交流することについて支え続けた人達なのだ。昼食の後、車で一路セランゴール州に向い、途中で州立のブルーモスクに立ち寄った後、シャーラム市にあるセクション7の小学校を訪問した。ちなみに本来2007年も、7月28日から8月18日までセクション7の学校に児童6名・引率者3名、合計9名が訪問していた。ちなみに来年は、このセクション7の学校から児童6名・引率者2名が常滑市を訪問することに決定している。すでに我々が訪問した時には、来年訪日予定の児童とその親も来ていた。驚いたことに、両親子供が一体となって日本語の勉強を続けているのである。すばらしいを通りぬけているくらいびっくりした。今年は東方政策25年の年だとの事。これはマハティール首相が「ルックイースト、日本を見習おう」と言った事に端を発するものだが、すでにこの25年の間に11000人のマレー人が日本へ留学をしたとの事だ。ちなみに、マレーシアの国費留学生の行く国は、No.1イギリスNo.2エジプト、そしてNo.3に日本が来る。旅行客で言えば、日本からマレーシアに35万人、マレーシアから日本へは7万人という状況との事だ。こうした国費留学の様な制度も確かにあるが、「TSIE」の活動は全て両国の善意ある人達によって支えられて10年続いてきた。活動に今更ながら頭が下がった。
セクション7の学校でのセレモニーで私は「すでに10年を経過したこの活動で第1回に参加者も20代のスタート台に立っていることと思うが、是非こうした人達が次は昨年二階経産大臣が創設したアジア留学制度に乗っかって日本へ再び学びに来られたらどうか。また常滑市側としても、それこそマラヤ工科大の様な大学に留学しようと思う子が居れば」と挨拶した。さて、少々子供達のアクティビティーの途中だったが、私達はマンダリンホテルに戻って在クアラルンプールの日本大使館の人達と日本商工会議所の事務局長(この人は、名古屋商工会議所から出向されている)と一緒に夕食を食べた。在マレーシアの大使館も、常滑市がシャーラム市とこうして間を保ってきた歴史を知らなかった。ここでもやはり外務省と地域行政、並びに官と民の連係がなかなかこれまでできていないのだという事が理解できた。是非これからもお願いしたいと申し上げた。ところで、夕食会後に我々は日本マレーシア友好50周年である。今年の文化イベントの中、フルートコンサートに行った。このイベントは、ちなみに外務省と国際交流協会が企業1社と共にスポンサーになっている。全てフルートで、マレーシア46人、日本から15人、シンガポール5人、オーストラリアから1人、全部で67人のメンバーでのコンサート。初めてあんなに大きなフルートを見た。すばらしいコンサートだった。そろそろ寝るべく時間が来た。おやすみ。明日は観光副大臣と会うことと、日本人墓地に献花をさせてもらう事が大切な予定だ。そして夜にこちら、マレーシアを出発して9月10日(月)の時間に間に合う様に日本へ帰国する。
9月9日
今日は本当に久しぶりに午前中をオフにした。アフリカから帰国して活動し詰めの日々だったので、つかの間の休みを取った。マレーシアに来てこの2日間は本当にハードな日だったので、ぐっすりと寝てしまった。ところで今朝のマレーシアの新聞によれば、シドニーでAPECの会議が開催され、安倍総理も出席。写真を見ると隣にたっているのはマレーシアのアブドラ首相だった。人口2600万人の国、邦人が約1万人。日本の商工会議所の会頭は自動車部品の会社。1000を越える邦人企業がこのマレーシアでも活躍している。マレー人と華人との間では歴史的な溝があるが、決して第二次対戦の時このマレーシアで行われた日本軍の行為に対し良しとする記憶は無い中で、これからの未来に向けた日本とマレーシアの関係が、この深く根となった邦人企業の活動で、マレーシアの現状に無くてはならないものになっていることもよく解ったが、なにより、マハティール前首相による東方政策のお陰で日本への留学生も1万人を越す今。私の選挙区の常滑市の市民の皆さんの手で、更に未来の友好の種がしっかりと確実に育てられていたことを気付く事ができて本当に感動している。外務省も今回のことがなければシャーラム市と常滑市の活動について知らなかったとの事。私は地元の皆さんの地域外交の活動は本当にすばらしい事だと思った。私としては、どうしたら更にこれが両国にとって大切な架け橋となってゆくのかしっかりと考えてみたいと思っている。
ところで、街を見ると建国50周年ということもあってとにかく国旗が多い。どこを見ても国旗だらけだ。それと、歴代の首相が全員写っているボードが沢山ある。次代に向けたマレーシアのアイデンティティーとは何か、国家が一体であることの大切さを示しているのかな〜と思った。今日は最後に観光副大臣と会食する、ここで日本人の長期滞在者の為の施設の充実と、できればこれら施設整備に日本側の参加をさせていただければと申し上げたい。それと、中部エリアでももっとマレーシア観光のPRを行ってほしい。オランウータンの保護活動とエコツーリズムを足した様な活動で、日本からも参加できる様にしてみたい。など話を進めてみたいと考えている。その後日本人墓地へ献花をし、サイバージャヤ、プトラジャヤへ行こうと思っている。ここはマレーシアの電子政府による新首都計画がされた場所だ。どこまでできあがっているのかよく見てみたい。
午前中少し時間があったので、ペトロナスタワー(通称ツインタワー)の中を散歩した。5月に行った時立ち寄った質の良いアンティークの店と、その隣にあるペトロナスギャラリーを見た。ちょうど建国50周年の記念の現代アート展が開催されていた。作品全体を見ていると、何か内に少しこもったものを感じた。9月2日に中国で見た現代アートや、アフリカで見た伸び伸びした感じとはまた違う、不安や内に何かを秘めたものを感じた。おそらくマレー人と華人の事や、政治体制についての何か訴えるものがあるのかな〜と思ったりもした。さて、それでは副大臣との昼食に出発。KLMタワーは世界で4番目に高いタワーだ。観光副大臣リム氏とここでの昼食ということになった。リム氏以外に上院議員のクム氏そしてリム副大臣の秘書と一緒に食事となった。ちなみにマレーシアの場合、上院が69名、下院が221名で、上院は3年ごとに改選、下院は5年だが解散があるとの事。マレーシアの場合、下院から首相を出す。前回の選挙から2年半を経過したので、来年あたりがそろそろだと言う。日本と同様だ。ちなみにこの国では、国会議員はだいたい1期で引退なのだそうだ。したがって3回も当選すれば実力者となる。リム氏は都会の真ん中の選挙区で当選3回の実力者である。ところで私の方から冒頭、安倍首相訪問の際は終日一緒に案内をして下さったのが副首相なので、日本国の国会議員として礼を申し上げた。いざ話に入ろうとしたその前に、観光年の今年、故を持って日本側からマレーシアにはノービザで訪問できるのに、マレーシア側から日本へはビザが必要とされていることについて指摘を受けた。ほぼ良く似た環境の韓国がノービザで、我国の倍くらいのマレーシアからの訪問客が来ている事を考えると、これだけではないが我国として考えなければならない事と思った。しかし、一方でノービザ故にあふれかえる流入人口の中、悪質なものが増えはじめていることも副大臣の口から問題はあると言っておられた。現在、それでも年々マレーシアからの不法滞在者は減ってきていることから、今が良いタイミングと思うので帰国後法務省に行ってみたい。ところで、副大臣とはいろいろな話をしたが、どうやらこの人はかなり日本語が理解できる様だ。自分でも話を少しされるし、昔はエンジニアで松下電器や富士電機の事も知っており、よく日本に来ていたと言っていた。昨年の9月の終わりにも、マレーシアの観光PRの為大阪に来ていた。そこで私は2つお願いをした。1つは是非中部国際空港とクアラルンプールの空港が使い勝手のよい便としてお互いの努力で客を増やそうと申し上げた。次は中部にPRで来てほしいと申し上げた。そうしたらビザの話が出たのだ。次に、日本からの長期滞在の人達の為に、日本中でも医師は足らないが、なんとか日本の医師がこのマレーシアで医療活動ができる様にしてほしいと申し上げた。そして、また介護施設なんかも日本側で設立運営させてほしいと申し上げた、国内的には保健省との話し合いとなるが、確かに観光の面からゆけば、言葉の問題が大きいことは特に緊急性の高いこうした医療の件では大切だという事も解るが、今の段階ですぐにはという感じだった。考えてみれば、日本側も国内においては医師会の強い反対で同様にやれない。相手国に求めている事が自分の国の中で出来ないのだから、はやりこれはよく考えなければならないと思った。他にもオランウータンの事や、はては日本初の国産機「MRJ」の売り込みまで様々な話に及んだ。あっと言う間の2時間だったが、楽しいひとときだった。日本も来年には大臣のカウンダーパートとして「観光庁」が設置されるのだという事も申し上げておいた。最後はお互い政治家なので、とにかく次の選挙に当選しようと誓い合った。それがお互いに済んだら、またマレーシアでゴルフでもやろうと言って別れた。ホテルに戻ってきて近くのショッピングモールでロイヤルセランゴールの店を見ていたら、ロイヤルセランゴールのアートカッププロジェクトを見つけた。Yue(ユー)氏の部屋の入口に太った女性の絵があったので外で写真を撮ったのだが、まさにその画家をはじめ、3人の画家のアートペイントをほどこしたセランゴールのいつものマグカップがあった。これは全てチャリティーオークションで、お金は全て寄付するとの事だった。すばらしいことだ。ではこれから日本人墓地に行き、プトラジャに行っていよいよ帰国だ。まず、日本人墓地に向かった。夕方5時過ぎだったが、日本人会の副会長の万代さんという方が待っていてくれた。この人は商社か何かでマレーシアに赴任された後、マレーシアに居残った人だ。国営企業で働いていたという。今は日本人会副会長としてこの日本人墓地を守っている。古くは1881年以来、いわゆる唐行さんのお墓からあるという。立派な仏壇もあった。苦しい歴史も今も全てここが日本とマレーシアの関係を見守って来たのだろう。私は土の下で眠る皆さんに心から手を合わさせていただいた。むろん戦没者もおられる。さて30分程度のここの滞在の中で、今日リム副大臣に申し上げた旅行者・日本人の為の医療について、1万人もの日本人が居て無医村の様なものだと言われた。ここもやはり副大臣の言ってたMMC(こちらの医師会の様なもの)の圧力が強いらしいが、万代さんの人間関係でなんとか道ができそうとの事。でもやはり我国の中でも困っている外国人の人達に、その国の人達による医療は認めてあげるべきだなぁ〜とつくづく思った。さて、それでは一路プトラジャヤとサイバージャヤへ。「ジャヤ」の意味は「栄光」という意味なんだそうだ。まず、サイバージャヤについては、ここは基本的にIT企業団地。開設以来すでに8年、NTTも進出しているが、デルコン、エクソン、DHL、1BMなどいくつか大手が出てきているのは事実だが、工業団地が全ていっぱいになるまでには至っていない。ITインフラも技術革新が早い為、世界の水準にインフラが追いつかないほど。更にはインドや中国に実際はさまれたこの国に、各企業がどれくらいメリットを感じるだろうか疑問だ。しかし一方で、国家の人口としてはインドと中国の両国家、更にマレー系が混然一体となっているのだから、将来があると見る人も居るらしい。サイバージャヤもプトラジャヤも1980年代に議論検討が始められ1993年には移転を閣議決定、1995年着工された。ほぼ10年が経った。プトラジャヤは行政新首都だ。ここはすごい。今までこの新空港もそうだったが全てパームヤシ畑だった所が一変しているのだ。1999年から政府機関が移転を開始。1府27省ある内、防衛省、公共事業省、工業通商省を除く全てが移転予定。実際私が今日見に行った時も、どこかの役所を建ている最中だった。このプトラジャヤは49平方キロのサイズ。これはほぼ半田市と同じ広さだ。計画人口が32万人、現在は約5.5万人。常滑市が5万3000人ですからだいたい良く似た人口であります。このプトラジャヤ計画は、IT、照明から緑地帯(全体の37%)までそれぞれ細かく計画が立てられいる。マレーシア人は計画を立てて建物を建設してゆくのは得意らしい。中身を入れてゆくのが大変だ。それにしてもプトラジャヤの中心部、首相府やその近くのモスク(さすがマレーシアの国教はイスラム教となっている)のある所から、巨大な国際会議場まで大通を通ってみると、これが10年で建造された建物かと思うと本当にびっくりする。こんな事ができるのかと思った。ワシントンD. C. によく似ている。マハティールさんの負けない心がつくりあげた人口都市に本当にびっくりした。
東方政策を提唱したマハティール氏は、良くも悪くもマレーシア建国50年の中で重大な時代を築いたと言っても過言ではない。忘れてはならないのはこの国には莫大な石油とガスの国営企業からの収入が入ってくるという事だ。その上でルックイースト、見られている我々は大丈夫だろうか。我々が今度はルックウエストと言って後を追いかけることになるのではないだろうか。シャーラムの子供達と常滑市の子供達が両国の未来にすばらしい時代を築ける様に、私はしばらく頑張りたいと改めて思った。「テレマカシー」(マレー語でありがとう)と今回もよく協力してくれた外務省の皆さんに礼を言いたい。ありがとう!アセアン40周年、マレーシア建国50周年、日本と友好50周年、常滑市とシャーラム市の友好10周年のこの年にここに来ることが出来て嬉しいと思った。
平成19年9月9日
クアラルンプール国際空港にて
伊藤忠彦
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