日中友好35周年記念「日中のお祭りin北京」について

 

 今年、私がこの35周年の記念行事として積極的に関わった行事は2つある。1つは先日無事に帰国した35周年記念の後援会旅行だ。もう1つがこの「日中のお祭りin北京」だ。この企画の趣旨等はここに別途書いてある通りだが、これの実質的な実行委員長は新日中21世紀委員会の石川好先生だ。ちなみに石川好先生は私を初めて中国に連れていって下さった方で、それは今から10年前の日中友好25周年のときだった。そのときは日中友好の大事業を行なった田中元首相のふるさと新潟県小千谷市から錦鯉を中国へ持っていく訪問団の一員として行った。そのときは小渕首相の秘書の肩書きで行った。当時、唐家璇外交部副部長(日本側でいえば副大臣)が、私が名刺をお渡ししたら、流暢な日本語で「伊藤さんは私設の秘書さんですよね」といわれて驚いたのをよく覚えている。ちなみにそのとき初めて釣魚台国賓館へ言った。その石川先生から今年の早い時期にこの計画を教えてもらったとき、私としては日本の伝統的なお祭りもいいが現代のお祭りも是非入れてほしいと思い、(財)日本ど真ん中祭り文化財団の水野君と相談したところ、水野君も乗り気であったことから、強力にこれを日中間の35周年記念行事の事務局の皆さんにプッシュしてきたところ両者の意見も一致をし、今回のこの記念行事に見事に入ることとなったのである。私は、当初9月14日から17日までの日程で、水野君をはじめとする皆さんと現地で行動を共にする予定であったのだが、9月12日の突然の安倍首相辞任で全ての計画を変更せざるを得なくなったのであった。ところで水野君に、どうせ出場するなら新曲を作って新しい振りがいいよと申し上げた。できたら例えば、日本の国花は桜、中国の国花は牡丹なので「サクラとボタン」というテーマではどうかとアドバイスしたところ、水野君や皆さんが素直にそれを取り入れてくれて「サクラとボタンの物語」という曲を作り、新しい振りを作ったのだった。更に水野君の素晴らしい発案で、日本側から30名そして中国現地で同じ30名が共に練習して汗を流して本番に臨みたいということとなったのである。35周年記念事業事務局が間に入って、北京旅遊学院の生徒の皆さんと合計14時間に亘る練習は、単に練習に止まることのない両国の若者の汗と涙の記憶をつくることができたのだそうだ。そして祭り当日も最後まで楽しく踊ったとのこと。両国の若者は本当に最後は涙を流してこの友情を熱く胸に刻んだとのことだ。このホームページにその様子を出させてもらった。今回は財団の武藤常務理事も同行し、すばらしい思い出に残る旅だったと、お話を頂いた。「ど祭りin北京」が長い長い日中の歴史、広い広い国家間、多くの人間の中で、ほんの小さな、しかし強い気持ちで結びついた彼らが、両国に誕生してくれただけでも、私は今年このことに関与した人間として、よかったと心から思っている。来年のど祭りには、この北京旅遊学院の皆さんをお招きして、名古屋のど祭りに参加してもらう予定なのだと聞いた。水野君、武藤さんをはじめとする財団の皆さん、そして今回渡ってくれた皆さんに深く感謝をしたい。来年4月に北京旅遊学院の学園祭に国外では初めて招待を受けた。財団の面々は行くとのことだ。更には8月のど祭りに彼らを招くことになる。これが日中友好を支える交流なのだ。本当にすばらしい両国の若者に敬意を表したい。


2007日中文化体育交流年



北京市最大の繁華街、玉府井での「日中のお祭りIN北京」の本番中の様子。
多くの観客を前に、息の合った踊りで国境を越えて楽しめるどまつりを披露しました。

北京旅遊学院での、衣
装をつけての最終練習。
本番を前に集合写真。
北京旅遊学院の学生も
どまつりの学生も、気合
十分です。
北京旅遊学院の学生は
北京の花「牡丹」、どまつ
りの学生は日本の「桜」
を頭につけ、お揃いの法
被で出場です。
 北京市最大の繁華街、玉府井の歩行者天国
 では市民や観光客など、多くの観客を前に約
 700mのパレードを行いました。
来賓席の様子       北京市百貨大楼前に設置された来賓席の前で踊りを披露。 本番終了後の記念写真。
祭りを楽しんだ学生たち
の笑顔が印象的です。
すっかり仲良くなった学生
たちは、今後も交流を続
けていくことを誓い合いま
した。



2007・9・24日経新聞



2007・9・16中日新聞



2007・9・16中日新聞