ネパールに関する基本情報  ネパールに関する外務省のデータ

投票に関する資料 *日本の新聞記事 *現地の新聞記事 *その他の関連資料 

ネパール制憲議会選挙のその後 *ネパール制憲議会選挙監視団報告  *写真集

ネパール情勢に関する日本の新聞記事及び関連資料 *ネパール王宮博物館に関する記事
 伊藤忠彦の手記

【4月9日】→ 写真集(4月9日分のみ)

 朝のタイ時間9時30分、前日夜に入ったホテルを出発して空港へ。前回来た時の直後に新空港が開港したとのこと。私にとっては初めてのスワンナプーム新空港である。開港1年半、確かに綺麗で美しい形をしている。ウイングの部分、すなわち航空機の離発着でお客さんを乗せる所は丸みを帯びた形状となっている。中を良く見るとやはり丸型の筒の状態なので無駄になるスペースも多くなる。一方で、空港内のいたる所にタイの仏教美術による現代アートやタイに行けば誰しも目にする仏教上の神々の像があちこちに立っている。これならタイに来たと誰しも思うだろう。そしてオーキッドの花があちこちに置いてある。なかなか美しい。タイ航空のラウンジも広いスペースなのだが、いずれにしても歩く距離が長い。滑走路は2本の様である。1本しかなかった時、エマージェンシーの時の事を考えればあたりまえなのである。私達の中部国際空港はこれから2本目の滑走路を作ることになる。ようやく世界の普通のレベルに向けていく事となる。早くしなければと思っている。4月14日、この同盟会が3県1市と経済界によって準備会が行われ、4月30日には同盟会そのものが設立される。その後5月には中部の空港の議連総会も開催される。私の選挙区に位置し、中部地域の玄関口でもあるので是非ともしっかりと前に進めていきたい。さあいよいよ離陸だが、改めてタイ新空港の建物の大きさにはビックリする。ただしこれだけ飛行機が集まってきても、2本の滑走路では少し小さい気がする。これから伺うネパールは、更にこのタイから時差が1時間15分戻す事になる。本来であればインドと同様に1時間30分の時差でもよさそうなものだが、外交上からもインドと同じにしないという事の様である。いま日本時間は午後1時頃、日銀総裁・副総裁人事についてまた参議院で副総裁について否決をされたらしい。どのくらいの票差で否決となったのか知りたいものだ。最後の決戦は道路財源の時だからである。

 さて離陸上空から見た空港付近は池また池である。何かの養殖の池なのだろうか。そしてすぐ近くに海が見える。さてこれから3時間少々でカトマンズに行く。カトマンズに着いたらおそらくホテルに直行し、打ち合わせのあと外相や選挙管理委員会の皆さんと会い、またFNCCI(ネパールの商工会議所)の関係者とも会う事になっている。その間で出来ればJICA事務所や前回訪問した大学にも足を伸ばしながら街にも行きたいと思っている。夜は大使主催の夕食会となっている。とにかくカトマンズでの予定は相当なものだ。しっかりと役目を果たしていきたい。

 私が今回一番気にしている事は、中国のチベット自治とにおける事に端を発した中国北京オリンピックの一件である。チベット自治区ラサとネパールは背中合わせの地区である。そこに民主化の為の選挙監視団として入っていく我々は、欧米の監視団とも会う事になるだろう。その時我々は、彼らがもしチベットの弾圧について語ったときに何と応じるべきなのだろうか。自らの良心に従うのか、国際社会の状況や我々の将来を考えた言葉を選ぶ事についてこれほど緊張感を覚えたことはない。これも二階先生が与えて下さった訓練と思い思慮深く行動したいと思っている。国際社会のうねりの中で、特にインドと中国の狭間にあって、この北京オリンピックとチベット問題の中での投票、これに対しての我々の支援とプレゼンスをどう表現するのか、リスクを取らずに発言することなどできないのではないかと、飛行機でいよいよカトマンズに着く中で悩んでいる。もうすぐ到着するという頃、飛行機の中から美しいエベレストの山並みを見る事が出来た。天気も良く、おそらく冷たく澄み切った空気なのだろう。とても美しい山々であった。すでに寝ていた橋本先生を起こし、父上の大好きだった山が見えるぞと声をかけてあげた。さあもうすぐカトマンズだ。

 空港に無事着き、フェアトレードの九州の方で杉本さんと一緒に会った方、コーヒーをネパールから入れている方と入れ違いだった様である。空港玄関で早くも現地TVより取材を受ける。今回の目的について橋本先生と二人でしっかり答えた。今後、民主主義の定着と貴国の発展について申し上げておいた。その後水野大使にお出迎えを受けて一路カトマンズ市内へ。2800万人の人口のうち、1700万人が選挙権をもつ今回の選挙、明日10日の投票日は事実上の戒厳令のもとに行われる。外出は投票以外は基本的に禁止である。さて我々はまず一路JICA事務所へ激励に向った。2年前に会った方もおられた。一言皆さんを激励して写真を一枚撮り、その後宿泊先のホテルへ向った。このホテルにはEUの選挙監視団も泊まっている。今回は全世界から約16カ国が参加しての選挙監視団となっているらしい。

 さてホテルに到着後、直ちに今日、明日、明後日のスケジュールのミーティングを行った。小休止を取り、いよいよ外務大臣への表敬にネパール国外務省へと移動、ホテルから15〜20分少々だった。今日は本来で言えば投票日前日で、国民的には休日である。しかし米国からカーター元大統領など、あちこちの国から明日4月10日、ネパールにとって本当に待ちに待った記念日に向けて海外からの多くの賓客が来ることから、休んではいられない状態の様だった。女性の外相、しかも共産党であった。一見いいおばあさんだ。75歳、母親と子供と言っても過言ではない。かつて幾度も投獄の経験がある女性闘士とでも言える人だが、極めて穏やかな方であった。昨年9月、当時高村外相とも会談されており、くれぐれもよろしくとの事であった。彼女の言葉で印象深かったのは、「明日はネパール国民が待ちに待った日、歴史的な日だ。ネパールの理想とする国を作る日。我々は民主主義を知らないわけではない。1950年代にひと時味わったが、すぐに王制に移った。1990年代、もう一度手に入れたのにまた手の中から消えた民主主義を今度こそ手に入れるのだ。2006年4月、ネパール国民に民主主義を手に入れる為の戦いがあった。7政党が十年に渡る戦争を経て、毛派とも平和協定を結んだ。明日は早朝から多くの女性が着飾って民主主義をつかむ為に投票に行く。日ネ関係については今さら言葉を入れる必要がない程に様々な協力を行ってきた。今後とも新しいネパールに向けた協力をして欲しい。日本を昨年訪問し、第2次世界大戦であれほどの焼土と化した国土を、短い時間で復興させた上で日本らしい文化をしっかりと残している事に本当に敬意を持っている。今後とも政治レベルの人と人の間でももっと交流して欲しい。JICAやJETROなどいくつかのレベルでの交流を望みたい。日本人の努力をする国民性を今一度ネパール国民に見習わせたい。明日は大切な日、国民に望まれた政権を作りたい。」と言われた。これほどに民主主義を渇望した言葉を聞いて本当に感動した。二階先生が1991年に訪問されてからも手に入れた民主主義を失い、再び明日手に入れるのだ。実はギャネンドラ国王も明日の投票を呼びかけたとされる。一方で根強く王制を存続させようと言う声も国民の4割以上あると言われている。おそらくこれは国民統合の象徴としての天皇(日本のような)のあり方のネパール版を国民は求めていると解釈するべきだろう。私達日本国では同じ民主主義という制度の中で、二院制においてこれほどもがき苦しんでいる中で、世界ではまだこうして極めて純粋に民主主義を求める声があること、情熱があることに改めて深い感動を覚えた。我々日本の国会ももう少し心新たにすべきなのだろう。

 さて会談後ただちにポカレル選挙管理委員長とお会いをした。本当に広い敷地に建つ建物も古いものだったが、この方はネパール国の行政のほとんどの役所の次官を務めた。優秀な脳裏だった。その彼をはじめとする選管の人たちも口を揃えて「一度道をはずした民主主義と遂に3度目にしてようやく成功しようとしている、国中の人が待っている新しい歴史の証人になって欲しい。現地で明日はありのままの姿を見て欲しい。」と言われた。いかに今日までの道が遠く険しかったのか、そして彼らはやはりこれから例え明日歴史的投票を迎えたとしても、更に引き続き厳しい道が待っていることを十分知っている事を強く感じた。私も橋本先生もこの歴史的な日に立ち会う事が出来て嬉しく思った。その後ホテルに戻りFNCCIの方と懇談を行った。前回の訪問でも彼らとは彼らのビルでネパールの進めたい一村一品運動について、日本のJETROを使って協力したい事を伝えたが、今回はその確認とタイの一村一品運動の成功事例の視察について確認した。それと同時にJICAに入ってもらって、農業製品を使った一村一品運動への協力を話し合った。そして私からは金融(マイクロクレジットの様なもの)市場をどう考えるのか、物流など各分析についての私見をお伝えした。私としてはいつの日か彼らが自らの熱意による一村一品運動で成功する日まで、政治家として日本側よりお手伝いしたいものだと考えている。FNCCIの方々から、こうしてる間にもネパールでは毎日500人が他国に出稼ぎに行っている。本当はここで豊に食べていきたいのに、これが問題だからこそ一村一品運動は必要なのだと言われたので、今回皆さんが選ぶ議会が決まり、首相の第一声に国民の皆さんに腹一杯のご飯を食べさせて上げたいと第一声に言わせることが大事だと言っておいた。あまりに盛り上がって大幅に時間が超過してしまった。本日最後の日程である大使主催の夕食会に遅刻してしまった。

 大使館は2年前の訪問以来だが、また少し塀などが頑丈になった気がした。大使夫婦をはじめJICAの所長、自衛隊の後方部隊の方、在ネパール日本商工会の方、故橋本龍太郎先生の古くからの知人の方、今回の選挙監視団の団長である丹羽氏、そして大使館の方などが顔を揃えた。もっぱら話は明日の歴史的な一日とその後の国王の取り扱い方、そして今後のネパールの状況についてであった。日本の政局もよく解らないのに、遠い国の状況はさっぱり解らないが、大変勉強になった一夜であった。歴史的に言って、一度も他の国の植民地になった事が無い国がネパールだと言うことを知っているだろうか。この様な輝かしい歴史を持った国のこれほどの時に、我々が立ち会うことが出来たことに深く感謝をしたい。今回の選挙監視団の大きな特長として、NGO団体が前面に出てきたと言うことだろう。それから各国が数百人単位で出てきている中で、日本も24名の監視団をはじめ、ローカルスタッフ、日本大使館、JICA、国会議員団など全体としても見劣りしないだけの量と質を誇る事が出来たと言っていた。本当に喜んでいいのだろうか。それからグルカ兵の事が話題に出たが、私はグルカ兵の事を知らないので、明日聞いてみようと思います。いずれにしても今日の夕食の食卓に集まった人たちは、今後もネパール発展の為にそれぞれが頑張っていく、関わっていく、おせっかいをするのだろうと思う。これほどの情熱で手に入れようとしている民主主義について、私は日本の国会議員もよく考えなければいけないとつくづく思った。夜もふけましたし明日は早いのでこれまでとします。

 

【4月10日】→ 写真集(4月10日分のみ)

 早朝6時10分すぎにホテルを出発。投票開始時間の午前7時には最初の投票所へ行く為に急いだ。午前中は7ヶ所の投票所を回った。途中、米国監視団の団長でもあるジミー・カーター元大統領と約1時間遅れで回った場所もあり、私は知らないでカーター氏の次の行に自分の名前をサインしたこともあった。確かマオイストの代表プラチャンダ氏が出馬している選挙区のカトマンズ10区の所だったと思う。

 今朝は鳥の鳴き声と共に起きた。集合場所にいたらEU側の団長と会った。ところで午前中走っていて感じたのはゴミの問題だ。これはひどい。あの美しいエベレストの入り口の国がこれでは…。エベレストの清掃登山で今こちらに来ている野口健さんも三浦雄一郎さんも日本政府も、是非この点で力を発揮したらどうだろうか。

 ところで投票用紙が面白い。あまり識字率が高くないこともあって、選挙区における個人名も、比例区における政党名も全て絵(マーク)を選ぶ方式である。自分で選んだマークに「卍」の印を付ければ終了。あとは投票箱に入れればいいのである。投票箱もおよそ500人くらい入れれば一杯で、1ヶ所でだいたい2ヶ国くらいの投票箱が必要である。しかも選挙区も比例区も同じマークなので分からないのではないかと思った。まず投票人は男女別々の列に並ぶ。何故分けるのかを聞いたら、男性が女性に危害を加えるなどのトラブルを防止する為なのだそうだ。別に一緒にしてもいいのにと思った。とにかくこの列に並んで、自分が選挙人に登録されているかどうかを確認する。人口2800万人、今回は1700万人がこの世紀の投票に参加している。18歳以上は参政権がある。そして最後に投票済みの印の為に親指の爪に少し色をつける。当分の間これはとれないとの事。そして青い票(選挙区)を入れて赤い票(比例区)を入れることとなる。なんと驚いた事に各投票所では地域の各政党代表者が、選挙をスムーズに行う為、特に名簿から名前を見つける為のボランティアを行っている。日本であればもちろん全く関係の無い人が行うのだが。それから投票所に行くにあたって、自分の名前を確認する票を臨時で渡す所がある。これはどう見ても我国風に言えば選挙違反だと思う。そこで更にほとんど本物の投票用紙にほぼ似たニセの投票用紙を使い、どこマークに「卍」をつけるのか指導すると言うか、これを入れるようにと言わんばかりの最後のキャンペーンが随所で行われている。やはり民主主義の少しばかりの後進国なのだから仕方が無いのかもしれないが…。我々が視察したところは比較的穏やかに投票行動が行われていた。しかし全国的には、特にタライという地区では、2ヶ所でマオイストの選挙妨害活動(話によれば投票箱を池に投げ入れたとか)で投票延期が決められたとの事だった。全国2万ヶ所の投票所、おしなべて言えば穏やかに推移しているようだ。早ければ今夜から開票結果が出てくるが、大体1週間くらいは時間がかかるらしい。とにかく選挙区ごとに立候補者が違うのだから、投票用紙を国家が作るだけでも大変なのである。ところでこの国の選挙にかかわる制度の中で、事前を含め投票日当日の出口調査はもとより世論調査もしてはいけないとの事。素晴らしい制度だ。これを発表し、世論を操作してはいけないとの事だ。ちなみに選挙区240議席、比例区335議席である。

 ホテルに戻って昼食後、長時間に渡ってこれまでマオイストとの交渉をやってきた人権活動家のトラダール氏と会った。どうやら外務省的にはあまり気に入らない人の様である。外務省は正面きって批判的だった。私達の前でこれほどぶつぶつ言うのは良くない。もし言いたい事があれば、彼の私見を悪口ではなく言えばいいのだ。もともとトラダール氏との会見は出張前に白鳥先生からのアドバイスなのだ。マオイストの位置付けに問題があるようだ。米国もまだマオイストをまともにとり合っていない。その彼が言うには「今日と言う日は本当にネパールにとって平和と安定を国家にもたらす大切な時だ。」と言っていた。インドや米国もネパールの今日の国民の選択を歓迎するだろうとの事。中国はこれまであまり会話をしてこなかった。本当はネパールはチベット自治区ラサとカトマンズ間の鉄道を引きたいと考えている。しかし今のチベットの状況から中々言えないのが現状である。ところで国全体が望む声が共和制であるならば、新憲法もその方向となるだろうとの事。これに対し軍、インド、米国、日本もそれを見守るだろうと言われた。その後幾度ももしマオイストが少数となった時、再び武力に訴える集団に戻るのではと申し上げたが、プラチャンダ・マオイスト派代表は国民の声に従うと申し述べたと言っていた。今後はコングレス党、共産党、マオイストの有力な3つの政党がパワーバランスを取りながら進められる政治となる。ギャネンドラ国王も国民に冷静な投票を呼びかけたのだから、王制に向う事はもはや無い。いわゆる皇宮警察も6000名近くいるが、これが動く事もなさそう。マオイストも選挙に勝っても負けても国民の意思に従うとの事だった。トラダール氏は午前中に投票所のいくつかを見て回ったが、王制の時より穏やかだった事に驚きを隠さない。240年続いた王制が本当に廃止に向うのか。いよいよ大切な時を迎える。我々日本国としては、明日の記者会見において、いかなるネパール国民の判断をも受け入れ、更なる日ネ関係の発展にこれからも引き続き努力をしていく事が日本国政府の姿勢だと申し上げたい。そして新しく議員となられた方々に、こちらでもネ日友好の議連を作っていただく事を勧めたい。コイララ首相率いる暫定政府も、新議会で新しい政権の枠組みが出来れば解散し、新憲法議会は2年以内に新しい憲法を制定する事となる。これは6ヶ月延ばす事が出来るとの事である。

トラダール氏との会見も大幅に伸びたが、その後まず私が一昨年行ったトリブバン大学国際言語学部に設置してもらった日ネ友好50周年記念モニュメントを見に行った。これは地元杉浦先生の作品だ。少々傷はあったがちゃんとあった。私が除幕したという看板もあったのでみんなで写真を撮った。その後、橋本先生の父上の龍太郎首相の落式した武道館に行った。父上の写真が一杯あったが橋本先生も実は剣道3段である事を聞きややびっくりした。

その後もう一ヶ所橋本元総理が関わったプロジェクト関係子供病院を訪問した。多くの医師、看護婦の皆さんに迎えられた。実は私もここに多少の縁がある。実はここは橋本元総理から要請を受けた当時プロバという画廊の社長をジュディオングさんが実行をしてできたプロジェクトで、私は何故か20年前この事に関わっていた。この間まったく知らなかったが自分がよもやここに来るとは思いもよらなかった。橋本先生と二人でここに来たのは何かの縁かなと思った。これからもここの病院の事は気にかけていきたいと思った。5月4日ここには国対の小坂筆頭副委員長も来られている。

さて駆け足でこれらを回って、いよいよ投票最後の5時投票箱をしめる場面に立ち会った。残った投票用紙などの整理を含めまだまだ私達から見れば古い手法だが、全てはこれからだと感じた。投票終了、開票したのだ。いよいよ新しい時代がやってくる。ちなみに今日一日で2名の死亡50人少々のけが、これは投票のトラブルリストとしてあった人数だ。事件は都市よりも田舎で起こった。沢山の選挙監視団が沢山いたところは無事だった様だ。ちなみに投票率は70%越える様だ。多くの年をとった人が脇をかかえられながら、時に2日も3日もかけて歩いて投票に行く人もいると言われた一日。少々の混乱はあったかもしれないが、まさにネパールが「民主主義」をつかみ取る日に立ち会うことができた事をうれしく思う。こうした配慮をしていただいた二階先生に深く感謝申し上げたい。今夜は私と橋本議員の二人で大使を含む大使館員、UNMINの自衛官、在ネパール日本人会の皆さん、そして選挙監視国の皆さんを全てお招きして御苦労様会を開いた。おおいに皆さんと一緒に盛り上がった。明日は共産党の幹部、そしてコイララ首相、マオイストの代表のプラチャンダ氏と会う事となる。コイララ首相には福田首相のメッセジーを手渡さなければならない。まだまだ予定は続くのだ。

 

【4月11日】→ 写真集(4月11日分のみ)

朝7時20分ホテルを出発。共産党のネパール党首の自宅に表敬。7時45分頃に着いた。すでにコイララ暫定政府首相が86歳の事からもしもの事があった時このネパール氏も首相候補の一人との事。私たちからは今回いかなるネパール国民の選抜があったとしても平和と安定を求めるピースプロセスに立った皆さんの判断を支持していく事を確認申し上げた。彼は正直言ってこれほど無事に(少々の事はあったが…。)選挙が終了するとは思わなかった。世界中からの注目の中でまた選挙監視国がそれぞれに良い意味でプッレシャーをかけてくれてきたお陰で選挙ができた。これだけ多くの国民が出稼ぎに出る国家において投票率60%以上だった事はすばらしい事だ。民主化への道はまだまだ厳しいが、これまでの事を国際社会に対して感謝申し上げ、国際社会の今後のサポート、新しい国造りを新しい政権にも引続きお願いをしたいとの事だった。UMLネパール共産党はありのままの選挙結果を受け入れていくが、他の政党においても同様に受け入れて欲しいと願っている。一つの政党が大きな権力を得る事があってはならない。(これはマオイストの大統領制を非定したものと思われる。)かつてネパール氏本人は日本の皇室の様な象徴天皇の制度ではどうかと考えていた。今は完全な民主主義の制度、共生する社会、お互いに恐怖を与えない社会、精神的にも政治的にもこれからもこの国は戦かわなければならないが理想の社会を築きたい。経済の問題も極めて重要な事。7時45分からの会議は予定の30分が過ぎてしまったが、改めてネパールが歴史的な変化を目前にしているそこに居る重要な責任ある政治家の一人と会して、私自身も誠に充学だった。

その後首相府へ行った。コイララ首相と再会する為だ。前回お会いした時よりもはるかに元気だった。選挙を戦ってきたばかりだからだろうか。故橋本元首相の話にも多く語られたが、今後の新しい時代をまた支えて欲しいとの事だった。コイララ首相も今年84才〜86才との事。本当に驚くほどオーラのあるしっかりした方だった。すばらしいリーダーだ。彼に今回は常滑焼のねずみの彫陶をプレゼントした。ねずみは象が動く時足もとで支えるのだそうで大変喜んで下さった。是非新しい選挙結果のもとで良い国造りを進めていただきたいと思っている。すばらしい会談だった。

さて11時からいよいよ最後の内外記者会見である。11時からヤク&イエティーホテルの鏡の間で開かれた。記者会見は12時過ぎまで続いた。予定を少々オーバーした。事前の打ち合わせは幾度も行った。私自身はチベットの件が出るのではと思いかなり警戒したが、これについては一つも出なかった。私は今朝EUの選挙監視国の団長と話し合った。今回選挙監視に来た国は、その後もこのネパールがいかに進展していくべきか見守るべきだという話をまず披露した。そして次に共産党のネパール党首との会議で互いに恐怖を感じさせない社会の実現と、一つの政党が強力な権力を持つ制度はいかがなものかという点について私自身もその通りだと感じた事を申し上げた。

最後にコイララ首相とお会いをし、福田首相からの親書をお渡しをし、選挙後新しいネパールをつくっていくにあたってこれまで通りの日本国としてのコミットメントを求められたこともお話し申し上げ、これからの期待に対し我々も応えられる様にしていきたいと申し上げた。橋本先生も6万個の投票箱の話をはじめ、選挙についての自身の印象を話された。そして事前の打ち合わせの時に私から彼に勧めたのであるが、父の足跡を訪問した施設や多くのネパール人から直接聞きあらためて政治家としての仕事について考えさせられたと同時に、父を超える様な政治家になる事を宣言しろと言った所、彼は見事にやってのけたのだった。私と水野大使は大切な証人となった。私は心から彼に拍手を送ってあげたい。ようやく父とは別の道に足が着いたのではないかなとながめて隣で聞いていた。これに対してその後会場から「それではどうやってあなたは父を超えるのか」という質問まで飛び出した。「今に見とれ」と言ってやればと思ったが、彼は彼なりに答えていた。一人立ちするネパールと橋本先生両者ともに厳しい道にこれからも出会うことだろうが、是非頑張って歩みを止めないでほしいものだと思った。すばらしい記者会見場を設営して下さった外務省にも感謝申し上げたい。そして会見場を後にして我々はヒマラヤホテルに行った。昼食を取る為だ。ここのヒマラヤソバがおいしいとの事だったが本当においしい。ネパール人のシェフが若いのだが日本でソバ打ちを勉強してきたらしい。全て手造りのソバ尽くしで本当においしかった。最後に良い思い出がまたできた。このレストランに来ていた日本人の旅行団体の皆さんともパチリと一枚写真を撮って一路飛行場へ。

ネパールでは二泊三日だったが、今回も大変中身の濃い旅だった。ネパールがいよいよ民主化する歴史の転換期に日本の国会議員として立ち会うことができた事を心から光栄に思った。二階先生に深く感謝を申し上げたい。そして今、我々は民主主義の中で悪戦苦闘しているが、民主主義という制度を希望してやまない。国民の国造りのスタートをしようとしている人達もまたいるのだということを忘れないと思った。1991年に二階先生が行かれた選挙監視団から17年を経て、今回行くことができた事について深く感謝を申し上げたいと思います。いよいよカトコンズを出発して一路タイのバンコクへ、バンコクでは日本の小林大使と日本から出ている企業の方々と夕食会を開催することとしている。ここでFNCCIの方々がJETRO協力で訪タイし一村一品の事例の研究に来るのでそれをしっかり受け入れさせること。またその時についでにいくつかの日本企業を訪問し勉強させる事、そしてJNTOの皆さんも会合させ、タイの日本人の皆さんがたとえばネパールに旅行に行ける様にならないかと言った相談を受けるようにしてほしい事も要望しておきたいと思っている。ところで昨夜テレビを見ていたら、カタールのアッティーヤ・エネルギー工業大臣をはじめとする一行が中国を訪問し、温家宝首相との会談をしていた。天然ガスの生産量を飛躍的に伸ばすと言っていたが、中国に対して大量の契約をしていたのだと思う。改めてエネルギーの大変な時代がやってきたのだと思った。出発直前にカタール航空の件で国交省での仕事を少しさせて頂きました。さて小林大使、公使、そしてその他関係者と約2時間会食をした。ネパールの件を小林大使にもお願いしておいた。後で分かったが、やはりタイの政局も大変なようだ。タクシン後、多くの有能な政治家がパージを受けているだけに非常に難しい状況なのだ。まだこれからタイの国内は落ち着くのにしばらく時間がかかるのではないだろうか。ところで小林大使によれば、このタイの新しい国際空港はシンガポールのチャンギ国際空港をぬいて世界で一番大きい空港なのだそうだ。管制塔も世界一ノッポなのだとか。これを端から端に移動させられたのが今日なのだが、さすがに疲れた。ちなみにショッピングエリアは世界の中でも優れているのではないかと思った。小さいがアウトレットの様な所もあった。今回は見るには見たが、私自身はいっさい買い物なしであったことを言っておきたい。

 いよいよまた混迷の続く日本へ帰国する。着いたらすぐに新宿御苑で首相主催の観桜会。そして終了後に上京して下さった皆さんと昼食会、その後名古屋に戻って自分のパーティーと予定は目白押しだ。しっかりと明日の朝は福田首相と二階先生にお会いをし、首相の手紙もコイララ首相に手渡した事を報告しなければならない。それにしてもネパールの総選挙は良い勉強になった。選挙当日の国民の余分な行動をそぐ為に、公共交通機関を止めるとか、あるいは国勢調査など人口調査の出来ない国がどの様に選挙人名簿を作成するのかなど上げれば切が無いほど足りない所はあったが、とにかくこれによってネパールも新しい時代を迎えて欲しい。インドも中国も過去に侵略を受けた大国に挟まれた小国ネパールは、世界史上一度も侵略を受けていない国なのだ。新しい歴史的瞬間に立ち会った事に感謝をしてペンを置く。起きれば成田だ。私の親指の爪に付けた投票済みの印は当分消えそうにない。

 

平成20年4月11日

午後10時50分 日航機で日本へ向う機内にて