8月2日 機中にて 朝8時、中部国際空港へ集合。特別室Bで関係者と会う。 ①サントメ・プリンシペ民主共和国と日本国ならびに ②サントメ・プリンシペ民主共和国へ2人の農業関係者が同行することになったのは「蘭の花の交流」の為でもある。 ②私達の国は鯨を食する文化がある。しかし、この鯨を食する文化は、年々歳々世界の理解を得る所にはなっていない。そこで、鯨を食べる事の前に、鯨を捕ることについて世界的に議論をする場が設けられている。これがIWCという会議だ。このIWCという会議で毎々議論され採決し、この一年間の鯨をどう捕るのか決めてゆく中で、常に日本は少数意見となっている。世界中を見回して一カ国でも我国と意見を同じくしてこのIWCに出席してくれる国に、参加をお願いするのが、日本の鯨文化を守り、本来の海の自然の生態系を守る為に、大切な活動でもある。今回水産庁とも協議をし、サントメ・プリンシペ民主共和国にIWCへの参加をお願いすることが、大事なもう一つの役目である。二階先生をはじめ、鶴保先生や皆さんと共に対IWC対策の為に、今回は先方の政府関係者ならびに議会関係者に会い、特に国会承認を取りつける為の努力をしてくるのである。この国は、国会議員が50人弱、今の内閣は少数与党の内閣である。少し大変な課題ではあるが、かつて2005年に日本に来日したことのある当時の大臣達は、日本での発言の中でサントメ・プリンシペ民主共和国の回りの小さな魚がどんどん大型魚(すなわち鯨)に食べられてしまうという趣旨の発言もしていたことから、是非理解が得られる様に努力をしたいと考えている。 ③他にも今回は帝人(株)の長島社長さんの温かい御理解を得て、対マラリア予防の新素材の生地を持って行く事になっている。また、昨年小泉内閣で二階先生が経済産業大臣であった時作成した、日本国の新経済成長戦略を作家の石川好先生の努力でマンガにされ、しかも駐仏日本大使館の中にいる経産省出向者の努力で仏語版マンガ本ができたので、これを先方の経済関係の閣僚ならびに大統領にさしあげたいと考えている。更にはサントメ・プリンシペ民主共和国に着いてすぐに土日と言うことであちこち視察をするが、この国はヨーロッパ側から見ればリゾート地なのだそうだ。と言うことで、この国のあとに訪問するガボン共和国にも手渡すつもりだが、昨年作った日本の観光の憲法とも言える、観光立国基本法とエコツーリズム法の2本の法律の全文を差しあげてこようと思っている。きっとおそらく、加藤駐ガボン大使が、この2本共仏語訳でもしてくれて、サントメ・プリンシペ民主共和国にもガボン共和国にも役に立つ事となるに違いない。出発前にこの事は、国交省の柴田審議官にも出発前に申し上げておいた。また、ちょうど前日の朝、7月31日、森喜朗元首相、AU議連会長からも気をつけて行く様にという温かい言葉をいただいた。さて、今は、日本航空とエールフランスのコードシェア便で11時間40分かけてパリ、シャルル・ド・ゴール空港に向けて飛んでいる機中の人なった。パリから乗り換えて、ポルトガル、リスボンに向かう。リスボンでサントメ・プリンシペ民主共和国行きのビザを取って現地に行く。2日がかりで行く長い道中となる。 ところで、ラウンジで皆で話をしていた時、蟹江さんが今後すすめてゆく太田川駅前の再開発で、農協ならびに農家の協力を物販や出店という形で得られるだろうかと、山口さんと真剣に話し込んでおられた。今日まで太田川駅前では「どんでん広場」と言う民間の人達の力で街づくりを合言葉に頑張ったが、挫折をした経験がある。今も中で、市場がある。ここには人が買い物にも来る。たとえばこうした苦しい経験をした人達をはじめ、多くのこれまでここで商売した人達がどんな思いでこの再開発を見つめていられるのかと言った事を、もっと住民同士で話をする機会を、たとえば井上先生(あのエリアの市議さん)や、神野先生方が先導してみるのはどうだろうか。こうした事を幾度も重ねながら、誰がどこまでやるのか、そうした事を確認しておく作業をするべきではと思う。話を持ちかけられた山口さんも、そんな簡単に「よし、解った」とは言えない様だった。解る様な気がする。蟹江さんも、自ら、行政主導の街づくりは必ず失敗するので、心配なのだと言っていた。我々の側は、どんな事ができるのか、するべきか、よく考えてみたい。ところで久かた振りのポルトガルである。日高先生や沢田先生と一緒に、スペイン・ポルトガルを訪問して以来だと思う。乗り換えとは言え一日滞在するので、少しあちこち行ってみたい。特にコンペイトウの発祥の地に行ってみたいと思っている。ちなみに前回は、ポルトガルのリスボンでは、2回の博覧会開催があったこの国での後地について視察をしたのを覚えている。さあそれでは、近未来型の建物シャルル・ド・ゴール空港に向けて約9時間余り、本でも読もうかな。 パリまで残す所3時間あまり。2本映画を観た。「スパイダーマン3」を観た。この中で、スパイダーマンの作者がちょい役で出ていた。私はこの人物と一緒に28才か29才の頃、石川好さんと一緒に中国を訪問したことがあるのですぐに解った。スパイダーマン3の中で「恕」(ジョ)という言葉を思った。相手を許す心だ。5月28日に亡くなられた平岩外四さんの色紙を遺品としていただく時、3枚見せられた。1枚は「志」、あとは「泰然自若」と「恕」という字だった。選挙をやる者としては、時にどうしても戦いたくなくても、あるいは巻き込まれたくなくとも、入らざるを得ない「渦」というものがある。その時大切なのは、この「恕」という事かなあなんて思った。 ところで、機中で蟹江さんと山口さんと話をしていた時、私が蘭の花で パリのシャルル・ド・ゴール空港に到着した。ターミナルが2つ、滑走路が3本、その上最近TGV(ヨーロッパの新幹線)が入っており、鉄道と空港機能が見事に一体となっている。ところでパリはオルリー空港(国内線専用空港)もある。国内線と国外線は一致していない。やはり国内線と外国線が一致しないのは不便との事だった。駐仏日本大使館の米谷さんも、そうおっしゃっていた。それにしても鉄道と空港という点ではすばらしいつくりだ。古いシャルル・ド・ゴールは昔はこんなに宇宙的な感じの建物は初めてだと思った。いよいよ夜8時出発!! ここで、パリの空港で(財)日本鯨類研究所のルイスさんが合流した。この人が、サントメ・プリンシペ民主共和国の国会でIWCについて、日本の立場を含めた説明をする人だ。あとは、帝人の人が明日合流すれば全員だ。IWCについては、これまで我国として調査してきた事について、正しい調査結果をお知らせすることを主眼に行いたいとの事だ。30分間の発表、すでに水産庁の方ともやり取りした資料との事だ。 ようやく、ポルトガル リスボン国際空港に着いた。当地で、午後9時30分日本では8/3の午前5時30分。19時間30分の長旅が終わった。ところが……。空港で添乗員の長谷川氏の荷物が一つだけ無い。現地時間で12時すぎまでかかって、交渉の末、明日朝、荷物がパリから来ることが確認できた。空港にもホテルにも、大使館の方々の手厚い対応に感謝。これまでで、初めての日本人の人数が、サントメ・プリンシペ民主共和国に入国するのだそうだ。在ポルトガル大使館もびっくりとか。ポルトガル語圏の会議もあるとの事。ブラジルや東チモール、サントメ・プリンシペ等、いろいろ幅広く、かつてバスコ・ダ・ガマが冒険したエリアの広がりを持つとの事。さすが航海国ポルトガル、ポルトガル語圏は世界に広く分布している。日本もポルトガルの食文化が広く根づいている。 8月3日 昨日のうちに、なんとか帝人グループ、水産庁、 さて今日は、10時宿舎のホテル発。まずポルトガルの首都リスボン市内を視察するにあたり、エドワード7世公園へ行って、上から港(ティジョ川)までを見おろせる所へ。全員で記念写真を撮った。ポルトガル国が人工約1,000万人、リスボン市は約56万人、かつては80万人程度いた人口が、しだいしだいに郊外に生活の場を移していったと言う。とにかく坂が多い街、7つの丘がある街だけにアップダウンがきつい。このポルトガルからは日本にいろんな物が伝わっている。カステラ、天ぷら、コンペイトウ。驚いたことに私の大好物の鶏卵そうめんもその一つなのだとの事。続いてベレン地区へ。大航海時代の富の蓄積で造られた街。最初はインドを中心に香料貿易、次はブラジルからの金と奴隷の貿易で作られた富だ。ジェロニモ修道院を含め、世界遺産が2ヶ所ある。更に当時、それらの世界との交易によって富を得たポルトガルが、国威の発揚の為に植物園や動物園をつくり、リスボン市内で珍しい物を国民に見せていた中で、熱帯の植物園があるという事で、それを見ようと植物園に行ったが、すでに建物が崩れんばかりで見るすべもない状況だった。残念だ。ところで、ここリスボンに来たら、このタルトを食べなきゃという物がある。以前に日高先生や沢田先生と一緒に来た時、たしかこれを食べたなあと思い出した。今回も焼きたてを食べたがおいしいものだった。 その後、発見のモニュメントに行った。エンリケ大航海王を先頭に、バスコ・ダ・ガマ、マゼラン、フランシスコ・ザビエルなどが刻まれている。ここ500年くらいの歴史の中で、一時は世界をぐるぐる回っていたポルトガル。今ではEUの中で比較的貧しい、どちらかといえば豊かでない国。国家にはやはり栄枯盛衰があるものだとつくづく感じた。そしてなにより、フランシスコ・ザビエルはこの港から遠く日本に来たことも思いをはせた。このポルトガルがそうは言っても今、EUの議長国となっている。もっぱら今、ポルトガルは中国を大きな市場ととらえて興味を持っていると言う。たとえばポルトガルワインの売り先として。しかし、一方で外交的に見れば、ポルトガル語圏のアフリカの諸国、たとえば今回私が訪問するサントメ・プリンシペ民主共和国の様に、台湾と国交を持つ国が多い中で、旧宗主国のポルトガルが中国に接近してゆくのは、やはり深い意味がある様だ。そして、ここでも中国の外交力を見ることができよう。その後、昼食へ。昼食も偶然とは言え、前回と同じ席で、同じ料理「タコのリゾット」を食べた。おいしかった。食事後、ポルトガルの国会に行った。国会の建物の入口には、カルダーの作品が置いてあった。国会内で美術展をやっていたが、残念ながら時間が合わず、中には入れなかった。しかし、国会議員としては、相手国の国会の中に入ることができてよかった。その後はロシオ広場付近で、しばらくそれぞれ自由に買い物。その後、再びサンジョルジェ城へ行き、夕刻の風が少々気持ち良く吹く中、高い丘からリスボン市を全体を見ることができた。すばらしい眺めだった。その後、ホテルに帰って、いよいよ原大使の所へ。駐ポルトガル日本大使の公邸へうかがった。原さんは、現和歌山県知事の仁坂氏の直前までブルネイの大使をされていた方で、この時より二階先生と久しくされておられる方。私も国対委員長室でも、国交省でもお会いしたことがある。その方が今、駐ポルトガル大使として、今ここにおられる。もちろんお願いしておいた、サントメ・プリンシペ民主共和国のビザは取れている。なんと一人あたりの手数料、49ユーロが必要と言われたが、それも無料でできたとの事。 ところでこの大使公邸、すばらしい、眺めの良い所にある。ティジョ川まで見渡せる所に広々としたプールも付いている、庭のある建物。しかも建物の入口にあるアズレージョ(色つきのタイル)は見事な物だ。その昔、日本国内の外貨を使う為に、70年代に国の固有財産を外国に持つ為、ポルトガル人から購入したとの事。ここで少しお酒をいただいた後、場所をレストランに移して、私の主催で原大使以下2人の大使館の皆さんを主賓に、我々サントメ訪問団の結団式をする為に、タラ料理店へ。リスボン市内のとてもおしゃれな店で、原大使オススメのワインを飲みながら、楽しい時間を過ごした。今日は一日、アントニオ君(サントメ人)、彼は2005年の万博の時、サントメ館の館長として6ヶ月来てくれていた人。今、ポルトガルで観光を勉強しているとの事だ。彼も含めて夕食会を行った。とにかくサントメに対してはマルチプルにいろいろな事を行いながら今回の様に①ティカッド4②ラン、 8月4日 午前6時45分(現地)。サントメ・プリンシペ民主共和国へあと15分少々の所。上空から見るギニア湾はたいへん美しい。ずっと寝ていたので、話すこともなかった隣の人と少し、話をした。実は隣の人はポルトガル外務省の幹部だった人。10年ぐらい前に外務省を退官して、サントメ・プリンシペとポルトガルの合併でテレコム会社を作って、ポルトガルテレコムの子会社としての会社のトップなのだそうだ。ビジネスは順調との事。そうこうしている内に到着!! 空港には加藤大使、村田一等秘書書記官、そして今年日本でお目にかかったフェルナンデス経済大臣自身がわざわざお出迎えをいただいた。車3台で空港に来ていただいていたので、全員無事荷物を持ってホテルに着いた。やれやれ!! 私は早々、大使と軽い朝食を食べながら打ち合わせ。日本を発って2日目でようやく着いた。その後、荷物の整理をしつつ、少々休んだ(そう言えば空港の待ち合い室で国営ラジオ放送から取材があった)。その後、皆さんと一緒に昼食へ。海辺のレストランで、焼き魚をはじめおいしい食事だった。ポルトガルに居た時アントニオさんから主食の一つはバナナと教えられた。後程、コーヒーとカカオのプランテーションに行った時、あちこちでバナナの木があったのを見てなるほど、バナナだと思った。食事でバナナの揚げ物が出た。あまり甘くはなかった。食事の後、まず博物館へ。街の中を走っていて、国会とスタジアムの様な建物、これは中国政府がお金を出して作ったと言われた。その後、中国政府から台湾政府との国交に変えたとの事。ポルトガルの旧宗主国だったアフリカの国が数ヶ国あるが、これがすべて台湾派になっている。だんだん世界で台湾を支持する国が減ってくる中で貴重な存在となっている。しかし、いつ何時、中国派になるともわからない為、台湾派も心配なので、今年の秋、旧ポルトガル領のアフリカの国のトップを、台湾に招待されるとの事。外交はこうして行われている。ところで博物館は旧海軍基地。入口に1471年、このサントメ・プリンシペ両島を発見したポルトガル人の像があった。ここもやはり奴隷の時代、厳しい時を経て独立した歴史を垣間見た。コーヒーのプランテーションとカカオのプランテーションの場を見に行った。どちらも最初、森の様な所をずっと抜けていくと、忽然と沢山の建物の建っている所が出てくる。当時プランテーションで働く小作農の為に、病院や学校まで作りつつ、それぞれを拠点にして、ポルトガル人のもと、コーヒー作り、カカオ作りが行われていた。ところが、国が独立して小作の開放が行われたことで、コーヒーもカカオもさびれてしまった。耕作と売るということは別の能力を必要とするが、今の彼らは売るという能力に欠けることから商売にならない。そこで、これまでの出来上がった機能が崩れてゆくのだそうだ。飛行機の中で一緒だったテレコムの社長もやはり「ディストリビュートの能力、つまり売り込んでゆく販路の開拓ができない」と言っていたのを思い出した。自分達の為に自分自身が何をなすべきか、少しでも国民一人一人が考える様にしなければ、貧しい子供達の未来は真っ暗だ。やはり子供の頃からの教育、職業訓練などの投資が足りないのではという話で盛り上がった。 加藤大使も、最近はアジアの留学生の受け入れについては日本国政府もどんどん数を増やしているが、アフリカからの留学生は、やはり受け入れについて日本国政府も厳しく数を絞らせている様だとの事。私はこれではいけないと思った。やはり、ここはなるべく日本で高学歴をつけさせて、国に役に立つ人間にしてゆく事が大切ではないかと思った。だから今回、農業支援の一つの方法として、JICAと外務省でランの育成能力を高める為に、1人日本側に受ける仕組みをつくってよかったと思っている。こんな事を是非どんどんすすめてゆきたいものだと思っている。 さて、今日はホテルのプールサイドで夕食会だ。蚊にさされない様に早めの夕食を食べて、今日こそ早く寝よう。明日は朝早く出発だ。ところで今夜の夕食会は私が主催をさせていただいたが、そこにサントメ・プリンシペの与党国会議員のメジャー氏が来てくれた。もとは、明後日のIWCの件で、どう挨拶をしたら良いのか、話を聞く為に来てもらったのだが、とにかく帝人が対マラリアの生地の件と、蘭ワークショップについて、両方の件について、こちらからの要望を話をした。IWCは日本側がサントメ側に求める話、マラリアと蘭の話は、日本側に求め来てもらう話。他にも観光の仕組みや、経済成長のさせかたについても、この人とはドシドシ話をしたいと思った。今回の滞在中にもう一回会いたいと思った。楽しい夜だった。 ちなみに彼に蘭の件で少しこちらから提案をしたのは、ちなみに蘭についての大統領杯を一番の賞とする、蘭のコンテストをやってはどうかと言っておいた。サントメ・プリンシペ民主共和国蘭コンテストの開催である。そこには是非、日本国大使賞と 8月5日 サントメ・プリンシペ民主共和国の首都サントメ市から南へ80km、サントメ島の最南端のポートバレイアへ。ポートバレイアで漁村を回ったら、トビ魚の干魚をつくっていた。なつかしい匂いがした。もともと、ギニア湾に浮かぶ2つの島でできた国。漁業国だ。淡路島と佐渡島の間ぐらいのサイズの国だ。歴史的には1469年、セント・トーマスの日、12月21日ポルトガル人が到来し、アフリカ本土への寄港地に適していたことから、植民地化された。苦しい植民地時代を経て、ポルトガルの独裁政権が倒れたと同時に、1975年7月12日に独立した。あちこち回って、植民地時代はやはりポルトガルの金と人が入っていたので、一面でこのサントメ・プリンシペの人達は幸せであったのではないかと思った。今この国が必要としているのは、そういう意味では善意で国づくりを指導する若者、すなわち海外青年協力隊の様な人達ではないだろうか。小さな投資で大きな、しかも永い間続く効果を興してくれるのはこの手法のはずだ。そこから船で更に南のギニア湾に浮かぶロラス島へ。美しい海だった。途中で、このサントメ島でもっとも不思議な光景だと思ったのが、ピコデサントメ山だ。突然、島につきささった剣の様に1つの山が見えてくる。本当に不思議な景色だった。ロラス島は赤道直下で、島の中に赤道が通っている。我々はそこに行って、赤道をはさんで南北の半球のそれぞれの地点で重力が逆の力を及ぼすことを水を使って確認した。その後、紺碧の海で、しばらく泳いだりした。今年は年初から選挙だらけであったので、本当につかの間の休日を赤道直下のギニア湾の島で泳ぐことができてよかった。スノーケルをつけて海の中を見ると、美しい魚が本当に沢山泳いでいた。今日は、このサントメ・プリンシペ民主共和国にエコツーリズムに最適の場所だということをあらためて確認した。大統領には、必ず観光立国推進基本法とエコツーリズム法をさしあげたい。ところで、 大統領へ ◎7月31日、日本国大使加藤さんの信任状奉呈式を行っていただいた事への御礼 ①安倍首相の親書を渡す。TICAD4への出席の返事 ②来年の訪問の際には、会議の後、 ◎2005年万博への参加の御礼と、事業の関係を大切にしていただき、今回訪問することができ、一同皆楽しく時を過ごさせていただき御礼 ③ ④昨日、ロラス島に行ってきたが、島を車で訪問以来、走ってみて、観光特にエコツーリズムに適している所だと思った。そこで我国で昨年成立した「観光立国推進基本法」と「エコツーリズム法」を差し上げたい。ただし、すべて日本語なので、また我国の加藤大使が協力するので、勉強されてはどうか。更に昨年、我国政府が作成した新経済成長戦略の仏語版のマンガ版があるので、これもお渡ししたい。やはり、長・中期の経済計画が大切と思う。 ⑤今回、コーヒー・カカオのプランテーションの後を視察したが、民営化という、土地と小作人の開放をさせたすばらしい政策だったが、素直に言って、まだまだこうなった時にこれらを経営し、ちゃんとマネジメントをする能力を持っている人が少ないのではないだろうか。我国には、こうした貴国の地域で一般の一人と一緒に働いて、地域づくりをしていく若者(日本人の)を派遣する仕組みがある。農村や漁村などの村落開発や実際の水産や、蘭などの振興をさせてもらう。これは「JOCV」という組織だ。これは要請主義に基づくので、是非、当方加藤大使を通じて、仲介していただいてはどうだろうか。私は是非、私の選挙区でもある 夜は、大使主催での内輪の夕食会をし、いよいよ明日からの公式行事の打ち合わせを真剣に1時間弱行った。 私の明日の発言要旨は、次の通り。 ①まず、トリニダード市にて市長と会い、草の根無償供与式では、今回こうして「日本から貴国に対しての草の根無償の初のケース」となったこの学校が、貴国にとって、国の根幹である人造りの大切な現場となってほしい。そして2005年の万博以来の ②蘭のワークショップについて。2005年の万博以来、 ③天然資源大臣について。 今回の ④経済大臣フェルナンデス女史 大臣の今年の訪日が私をここに連れてきてくれました。お陰様で大臣のイニシアチブで鯨のセミナーも開催ができる様になりました。日本国としては、サントメが日本の立場と考え方を理解されていただいた上で、閣議決定もしていただいたことに敬意を申し上げたい。IWCに入られれば何らかの水産分野の協力をしてゆく事にもなります。また、日本カツオ・マグロ連合会との間で漁業協定を交渉中とも聞いています。これが締結されれば、さらに深い協力関係ができる様になります。日本側から考えた時、サントメ・プリンシペの協力の第一歩は、やはり水産の分野だと思う。そして、これを支える集落村落の為の人材育成が大事ではないだろうか。 ○マラリア、帝人 ○人の派遣 ○観光立国基本法、エコツーリズム法 ○両国間の派遣要請 ○JOCV 外務大臣、大統領へも ところで最後に今日、島の帰り、私と大使の乗った車がパンクした。途中の道端で止まった我々は、前後1本ずつのタイヤがいかれているのを見て、「どうするんだ」とショックだったが、通りかかった一家がタイヤを提供してくれて、実にことなきを得て、2本取り換えて、またホテルに帰ることができた。幾度も御礼を言う我々にサントメだからと笑顔で返してくれた家族の温かい気持ちに、この国が好きになった。あらためてありがとう。「オブリガード!」 8月6日 さあ、いよいよ7時30分に、リマ天然資源大臣が来る。ホテルから今日はずっと一緒に同行してくれるとの事。この人が我々との間のきっかけとなった人だ! まずホテルでリマ大臣が着いた。ひとしきり、 ちなみに、サントメの排他的水域については調査が終了次第、来年の1〜3月に入札にかけるとの事。日本へも期待しているとのことだった。ちなみに米国のいわゆる日本で(沖縄で言う)象のオリはリベリアから移したものだ。さて、車はトリニダード市役所へ着いて、市長を表敬訪問した。もちろん全てリマ大臣と一緒だ。トリニダード市長は、すぐにでも友好都市をと思っていたかもしれないが、そこは私自身 さて、トリニダード市を後にして、いよいよ蘭のワークショップに出向いた。リマ大臣も同行し、 8月7日 さて今日は、朝国会議長代理と会い(どうやら国会議長はガンでポルトガルのリスボンに入院中との事)、その後、国会内で開催される鯨のセミナーに出席し、そして外務大臣、首相とお会いする予定となっている。そして、大統領とも会談し、駐ガボン兼轄大使である加藤日本国大使の信認奉呈式の答礼のパーティーで夜は締めくくりとなる。 まず朝9時過ぎ予定通り我々は国会へ。中国政府の造った国会はやはり立派に出来ていた。中国政府は、アフリカの資源確保の為に、54ヶ国あるアフリカのさまざまな国に国会や首相官邸などを無償で造り続けたのである。ところで、国会議長は今ガンでポルトガルで入院中との事で、議長代理の方、そして与党の院内総務、雇う代表が2人の皆さんとまず会談をした。こちら側からAU議連の(森元首相・会長)の中で、今回54ヶ国それぞれに相手国との委員会、すなわち友好議連ができて、私はサントメ・日本の友好議連の副委員長をおおせつかっていることを報告したところ、早々国会を代表し、サントメ側でも友好議連をつくることについて、提案と報告をその場でいただいた。これら両国の友好議連を通じ、サントメの援助や企業進出などよろしくお願いしたいとの事だった。 続いて、いよいよ鯨セミナーとなった。大使の挨拶の後、私からも挨拶申し上げた。権威あるサントメ・プリンシペ民主共和国の国会内で、フェルナンデス経済大臣の主催による鯨のセミナーに、日本からの講師をお招きいただいたこと、ご出席をいただけた皆様に心から感謝申し上げる旨をまず申し上げた。その上で、日本もサントメも、海に浮かぶ島国として、海洋国家であり漁業国として共通にこれからも協力してゆければと思っていると申し上げた。最後に、この鯨の件では、昨夜私の野党の友人から教えてもらった「st.サントメ P・プリンシペ」の気持ちを大切にして、ポルトガル語の意味が少々別の意味であるとの事だ。このことに国会として頑張っていただきたい。今日の鯨類研究所のパスカル氏の発表を参考にしていただきたいと申し上げた。この後我々は外相のところへ行ったが、戻ってきてから質疑応答となったが、一人だけまたしても白人の反捕鯨の者が隣のサントメ人をそそのかして反日本の質問をしたが(まったく取るに足りない話)あとはおおむね好意的であったと思って良いのではないかと思った。 外相とはまずJOVCの件について、日本側と早く折衝しはじめるとの事。友好議連について国会議長代理から野党を前にして話があった事も外相に報告をした。外相としての課題は2つあるとのこと。①食糧援助の問題について少々問題があって止まっていた件について、今回我々が大型訪問団で行く事もあって再開を決定し、加藤大使の赴任にあたり再開の覚書の交換をした。この上は、次回の食糧援助についてなるべく早く再開してほしいとの事だった。日本側は、内々12月の閣議決定でこの件を再開する予定だとの事だが、所管である農水省にしてみれば、IWCの件が切な事であれば、少々前倒す事は可能ではないか。これを外務省ともうすこし前倒すことについて話し合いをさせたいと思っている。私も農水委員である以上、これはやってみようと思った。ただし、食糧援助とみかえり資金の事について勉強したいと思っている。②水産支援について更に深めてほしいとの事。もっと実質的支援をお願いしたいとの事。9月に民間調査団(日本カツオ・マグロ連合会)が派遣するとの事。実り多いものになればと祈っている。外相から私に今後は対日本政府に対してのサントメのロビーとして頑張ってほしいとの言葉があった。私はそんな者に成り下がりたくはないが、しかしせっかくの事、両国の為に役に立ちたいものだと思った。 ホテルで12時30分から ところで、午後3時からいよいよ首相と会談した。天然資源大臣や経済大臣よりも外相は立派なオフィスだったが、更に立派なオフィスはやはり首相だった。これら閣僚や国会議長の部屋には面白いアートがいっぱい飾ってあった。首相、外相、経済相官房長官と会談した。今春、債務超過の状況であったサントメも、債務の一部帳消しによって債務問題が大きく前進した。また、食糧支援の見返り資金も再び使える様になり、今後更なる支援を日本にお願いしたいとの事。そこで支援を受けたいのは次の4つの分野、①観光②サービス産業③水産業④農業の4つが重点セクターとなる。そして持続可能な成長をしてゆき、国の貧困をとりのぞきたいという気持ちでいっぱい。漁業国として小さい貧しい漁村をなんとかしてゆきたいという言葉があった。たとえば干魚(トビウオ)をもっと衛生的に、また遠くに運ぶ、あるいは加工する技術開発などがほしい。税収がほとんどなく、援助資金で行っている国家運営から自ら歩くことのできる国家になりたいという強い気持ちが伝わった。同時に米の支援の再開を早めてほしいとの事であった。これについては努力をすることを申し上げた。貧困についてはJOVCの導入を急ぐ事で何か手助けできないか、すぐれた日本の若者を是非送れるようにしたいことを申し上げた。これも私自身も努力をしたいと思っている。いずれにしても、課題を与えられて帰ってきたという感じだ。あとは、今夜の加藤大使主催のレセプションだけだ。ところで、首相府を経て昨日経済大臣の所へ行く時通り過ぎた画廊に行ってみたくなって行ってきた。やっぱりなかなかのものだった。こうしたアートが盛んなのは、少なくとも私にとっては未来を感じた。 いよいよ明日の朝、大統領閣下と会う。このサントメ・プリンシペ民主共和国に着いて4日が経過した。多くの知人が出来た。今夜の加藤大使主催のパーティーには80人以上の在サントメの大使をはじめ、大臣・国会議員・経済界など多くの人達が来ていた。特に私はIWCの件が頭にあったので、どうしても野党議員の幹部とも久しく、話をした。これまでの成果としては、①サントメ・プリンシペ民主共和国の中に日本側との友好議連が与野党を含め超党派で作られることとなったこと。②JOVCの手続きをすすめるとの事。③食糧援助は早めに再開してほしいことが解った。④おそらく。IWCを含めて日本の課題は与党野党に関係なくすすむのではないだろうか。⑤大統領がTICAD4に出席してもらうこと──これは明日8/8(水)に確認する。と同時に、是非その時は 8月8日 今日は、実は国会(特別国会)の関西日だが、私はこのアフリカ訪問で休んでいる。さあいよいよ出発だ。サントメ・プリンシペ民主共和国における最後の公式行事、大統領との会談だ。これまで本当に加藤大使、村田一等書記官、そして深谷副市長をはじめ アフリカにはめずらしく時間通りの出発でガボンの首都リーブルビルへ。飛行機は双発機だ。美しい海(ギニア湾)を渡ってガボンへ。首都、リーブルビル市へ。約45分の短い時間で着いた。リーブルビルの空港のすぐ隣にフランス軍の駐留基地があった。約800人が駐留し、ひとたびアフリカの各地で何か悪いことが起こった時はただちに救出に向かう部隊となっているとの事。このガボンはフランスが旧宗主国で、たいへん大きな影響があるとの事。したがって街中にボンゴ大統領とサルコジ大統領の2ショットの写真がある。ボンゴ大統領は、約40年間大統領で居続けている。街中にその為かボンゴ氏の写真があふれている。中華を食べてホテルへ。この国で一番大きい大使館、フランスの隣に我が国日本の大使館がある。美しい海岸通り沿いにある。今夜、大使公邸で日本ガボン友好議連の方々をはじめ、ガボン政府の観光関係の方、そして、JICAの皆さんも出席する。ここに 8月9日 朝7時45分、ロビーにて大使館、JICAの皆さんと集合。なごりはつきないが、 ①今回帰国をして、私から外務省、中東アフリカ局長、審議官、アフリカ一課課長ならびに鯨類研究所、そして水産庁にJICAの大塚氏に集まってもらい、私から報告する機会を持つ。 ②すでにあるガボン駐在員事務所長の理解を得て、サントメ・プリンシペ民主共和国にも、JICA駐在員事務所をつくる。 ③IWCにサントメ・プリンシペ民主共和国が正式に加盟する場合、想定されるさまざまな支援の中でわけても水産無償支援について、受け皿となれる日本人を(若人)JOCVを先に入れる。それらの人達は、村落開発をはじめ、彼らふつうの市民と共に国に対して頑張って仕事をする。 ④結果、水産無償を行って、零細漁村の活性化をしてゆく。案はすでにサントメ漁業総局長も、JICA、JOCVを送ってほしいと要請があったとの事だ。とくに、水産関係について専門家派遣をしてほしいと、先方国から言ってもらうのが大事だと思っている。 ⑤9月に民間漁業協定の調整に、日活連が入り、10月か11月に、日本とサントメ・プリンシペ民主共和国で日本で調印すると言っている。これには経済大臣のフェルナンデス女史がまたまた来日する。この時是非 最近の話で、日本でのマグロがなかなか獲れない状況だと言われている。また、オーストラリアがマグロのインド洋での漁獲高を2割削減したと言われている。今そんな状況の中で「キハダマグロ」がギニア湾で獲れる。これを大量に日本に出してみたとの事だ。今、日本カツオ・マグロ連合がここを最後の漁場として、入漁料の交渉を続けているとの事だ。さて、そうこうしているうちにランバレネへ着いた。まずランバレネに入るにあたり、軍・警察および市幹部による出迎えを受けて、州知事室へ。そこで知事室であいさつをして、その後オバマ駐日ガボン大使の母さんの家で昼食会となった。すばらしい眺めの場所で、おいしくテラピア(魚の名前)料理をはじめ、ここの名物料理を食べた。その後、まず水産庁の水産無償援助でできた漁業センターで、JOCVの活動報告をうかがった。水産加工、エイズ感染者の治療院で働く者、感染症予防対策で働く者など3つのカテゴリーの若人から報告を受けた。 その後、魚の市場(これほどの規模でなくてももちろん良いので、こうしたものをサントメに作りたい)と病院を視察した。あいかわらずJOCVの子達はすごい。たいへんな若者の活力だと思う。これらの病院を見て激励した後、シュバイツアー病院へ行った。ノーベル賞をとったシュバイツアーの病院だ。アフリカ特有の風土病対策にも、伝統的にすぐれた蓄積がある所だ。本当に日本の若者はよくやっていると思った。夜、ランバレネのホテルで、加藤大使主催で担当地の国会議員も2人来て、パーティーを行った。終了すると青年海外協力隊の人達と大使と皆さんで、夕食会を行った。水産関係のJICAプログラムを作るスペシャリストの小木曽さんも入って、いろんな話題で花が咲いた。長いアフリカの旅もいよいよ終了しようとしているが、今回も多くの友人を得て、日本へ持ち帰るべき中身が沢山できた。サントメ・プリンシペ民主共和国とガボン共和国の為に、しっかりと頑張ってゆきたい。 ところで、ついにと言うか御当地物の食べ物を食べた。ニシキヘビとガルーダだ。ニシキヘビは輪切りにして、内臓はもちろん取って唐揚げにして、カレーソースがかかった物。肉は骨と一緒。味は鳥肉の様な感じ。ガルーダ(鹿)はちょっとグレーな感じで、私は食べなかったので解らない。やー、すごかった!! この店、日によってはワニも食べられるとの事だった。 8月10日 どんより曇っている。ラグーンに行く。本当は東南アジアのラグーンを見たいと思ったことはあるけど、こんなに遠くまで来て、ラグーンを見るとは思いもよらず。ゴア副大統領が指摘しているように、地球温暖化問題が深刻化しているこの時、ラグーンはどんな状況か見てみたい。と共に、エコツーリズムのあり方を見てみたい。来年JICAから海外青年協力隊として、このエコツーリズム関係で人を出すことになっているので。 ところで今朝あらためて今日の我々の出発地点の日本の無償援助で作った漁業センターに行った。沢山の人で活気のある漁港になっていた。魚を獲って運んで来る人、それを仲買いする人、中には子供が魚を買いに来た人の為のビニール袋まで売っていた。ここで聞いた話の中で、なかなか漁業協同組合の様な日本の互助組織ができないとの事。何故かと言えば、団体をつくる時は選挙の時くらいしか無く、その時は票を入れるかわりに物や金をもらう時しかないので、組合の様な組織化をしてゆく事は、時に自らを含めた相互の互助という点ではあり得ないのだそうだ。時間のかかることと思った。ところで、今このガボンのボンゴ大統領は韓国を訪問中だ。平和賞を受ける為だ。そこに観光大臣も同行していると言う。この国にはちなみに、50人の大臣と50人の将軍が居ると言う。昨夜会った知事は10州で10人、こうした人達に国富を再分配して、ボンゴ政権は長続きしている。それにしても、この漁業センターの浮き桟橋は本当に役に立っていることを、ここにしっかりと記しておきたい。 ところで、テラピアをはじめ、沢山の大小さまざまな魚がある中で、子供のワニが入っているカゴがあった。びっくりした。頭がすでに落した後のもので本当におどろいた。さあ、ボートが出発した。エバロ川を上流に向かって進むのだが、とにかく川幅が広い。両側はうっそうとした背の高い木がおいしげる、世界で2番目に広い緑を持つコンゴ盆地だ。そのガボンの土地。今は時期的に、今一番水位が低い時である。地球温暖化が極めて重要と言われている今の時期、この緑は残すべき地球の酸素の供給源だと思われるのに、実はこのガボンでも御多分にもれず、大きな木(本当に巨木と行っても過言ではないサイズのもの)がどんどん切られて海外に輸出されているのである。この漁業センターの近くにも輸送の基地が2ヶ所もあった。大変心配する事態である。にもかかわらず、この国ガボンは、石油後の社会をにらみ、国内に13ヶ所の国立公園をつくり、本年はそのうちの1つが世界遺産にまで登録されているのである。これら国立公園をつかってエコツーリズムを盛んにしようと考えているのである。木材の伐採とエコツーリズムの矛盾をどう考えるのか、誰が彼らに何を言えるのか。私は本当に考えさせられてしまう。ちなみに、JICAとしては、この13あるナショナルパークの内、ガボンの国からJICAに数ha、エコツーリズムエリアとしてまかせてもらえればと考えている。これをエコツーリズムの基地として運営してみたいのだという事。この話には是非、日本のエコツーリズム協会やJATA、あるいは民間の旅行会社、JTBあたりが協力し、日本型環境教育もしつつ、エコツーリズムとしての場所づくりをし、相手国のニーズにあったものにしてはどうかと思っている。さて、このラグーンの視察で最も感動したのは、本物の野生のカバの家族を見たことだ。川の表に鼻まで出していたが、同行したガボンの人も一度にこんなに見えたのはめずらしいと言っていた。カバの家族がゆったりと過ごしている川を、エコツーリズムと称してボートがあるいは漁業をやっている。漁師の人の船がどんどん行き来する。カバにとってはただごとで無い状態である。しかい、これもまた「矛盾」なのである。さあ、いよいよエバロ川を上がってエバロ島のある湖へと細い支流に入ったら、我々をあたかも祝福してくれる様に蝶が美しく我々のすぐ近くを飛んでいた。私はこれまで自生している野生のパピルスなんて見たことも無かったが、これを初めて見た。美しい場所に、エバロ島のリゾートがあった。この島の隣の島にゴリラ、チンパンジーの孤児を救護する(保護)センターがある。どうして、ゴリラやチンパンジーが孤児となったかと言えば、ガボンの人達の習慣として、これらのゴリラやチンパンジーを食べる為である。普通に考えれば本当にぎょっとする事だが、このガボンではごく普通のことなのだそうだ。島に行ってみたらかわいい2頭のゴリラが、ガボン人の飼育係をおそらく完全に親と思ってなついていた。野生のゴリラを見てしまった。ところでこのガボン人のゴリラと、日本の鯨はよく似た話だなと思った。それぞれの国には、それぞれ固有の歴史がある。これを否定することは何人にもできない。大切な事はバランスなのではないだろうか。地球の環境問題も生物の多様性の問題も、全てはバランスの問題なのだろう。エコツーリズムのテーマでの川を使った視察をしたが、人類の全てにおいてのバランス感覚が試されている。ぎりぎりの時を迎えているのではないかと思った。再び漁業センターにもどり下船後、最後にランバルネで頑張ってくれている青年海外協力隊の皆さんと、鯨総局長と共に感謝の食事会を行い、一路リーブルビルにもどることにした。ここから3時間かけて帰る。リーブルビルであらためて外務大臣に会う予定。その後は大使公邸で休んで、空港から帰国の途に着く。ランバルネからリーブルビルにもどってすぐに、ゴンジュ外務副大臣が面会をしたいという申し出があり、あわただしく最後のミーティングをした。「民主市」というシテデモクラットと言われるエリアがあり、ここに高級官僚のオフィスならびに国際会議場などがあるエリア[特別区]に、このゴンジュ女史のオフィスが建っている。本人も言っていたが、ボンゴ大統領の一番の側近の一人なのだろう。その彼女から、ランバルネの地域の事な どを聞かれたと同時にガボンのエコツーリズムについて是非力をかしてほしいとの事だった。私からは ①ガボンの大学の観光学科の中にエコツーリズムのコースを作ること。 ②TICAD4で来日されるボンゴ大統領に、是非立教大学の国際キャンパスの観光学科の生徒達に、これからのガボンにおけるエコツーリズムについての特別講演を組んでもらうこと。 ③更には、ガボンの大学と立教大学と観光学科交流をすすめること。 ④愛知和男日本エコツーリズム協会会長と共に再来訪させてもらいたいこと。 ⑤これから具体的に何がガボンに対して検討できるか良く考えるので、また力を貸してほしいという事を申し上げた。今回は最後の最後まで、実のつまった訪問であった。 以前に訪問したアフリカの国々に比べれば、緑と水に恵まれた豊かさを感じるアフリカだったが、サントメ・プリンシペ民主共和国においては本屋も無い状況で、まだまだ遅れた地域に違いはない。しかも日本の食卓にとって大切な「マグロ」の為にも、両水産援助を是非ともうまくできる様に政治家としても努力をしたいと思っている。それから、ゴンジュ女史は経産省のマンガの様にエコツーリズムのマンガ本はできないかと言われた。それはちょっとやっかいな事だが、なんとか答えてみたいと思う。 今回も本当に多くの方々に助けられて旅ができた。加藤駐ガボン大使、村田 一等書記官、原田JICAガボン駐在員事務所所長をはじめ、隊員の皆さん、 8月11日 パリに早朝6時10分に着いた。ここで乗りかえを待つ。ド・ゴール空港も今拡張工事がどんどんすすんでいる。ところで、今回、サントメ・プリンシペ民主共和国とガボン共和国、それぞれ課題を持って帰ってきた。サントメ・プリンシペ民主共和国については、一言で言えばIWCの為にも水産無償が早く実施できる様に、JICAの駐在員事務所をなるべく早期に置く事。これによって日本のキハダマグロ漁の安定にもつないでゆく。また将来、 一方ガボンは、大統領など大切な人には会っていないが、大統領の一番の側近と言われる人とは会い、こちらもTICAD4の会議は、出席の為来日するとの事だ。そして今、ボンゴ大統領が熱心に取り組んでいるエコツーリズムについて、この前に書いた様な事ができればと思っている。現実的には日本側からの客をどうするべきかという事はなかなか難しいかもしれないが、団塊の世代がリタイアの時期、たとえばランバウネで視察したシュバイツアー博士の病院で人間ドックをしていて、そこから我々の様にボートに乗って、エコツーリズムでカバや野生動物を見に行く様な健康とエコが組み合わさった旅行なら、これだけ1,000万円前後の船旅が売り出し日に即日完売する国なら、そんな事ができるのではないかと思った。ただ、やはりガボンという国から考えれば、欧州からの旅行客をつかむべきではないかと思っている。それと、ガボンの木材輸出は、いずれ世界が第2のアマゾンにしてはいけないと、見すごせない問題として指導をする時が来ると思うだけに、日本もどうすればこの事を転換できるかエコを教えてほしい。ツーリズムで国をなんとかしたいと考えている国だけに、それを指導してあげるのなら、合わせて考えるべきではないだろうか。しかし、おそらくガボンにその事を指摘することは、アフリカ全体にとっても大切な課題の指摘となるだけに、よほどの案を持っていかなければできないことと思う。 それから今回、国と地方が一体で、企業と共に訪問したが、地方自治体のトップが自ら外国との交流をすすめることについて、もっと国はあらゆる点でヘルプをしてほしいと思った。私の選挙区では 外務省の究極の目的は、国際社会における日本が、多くの尊敬を集める国とたりうるか否かという事だと思う。もっと分りやすく言えば、国連で日本がいかに支持を独自の努力で世界中で取りつけられるか、そして現地国で邦人の保護をいかにするのかという事だということも、よく知ることができたが、これらの裏づけは何も外務省の省の者だけではないという視点で、さまざまな要素をうまくコーディネートしてゆく事が今の時代に求められているのではないかと、そう思った。 いずれにしても、多くの皆さんのお陰で、今回もまた貴重な経験ができた。ありがとう。しばらくの間、僕の頭の中から、ゴリラの赤ちゃんとカバが離れないと思う。 以上、パリ ド・ゴール空港にて |